正史でも三国志演義でも、劉備・関羽・張飛の絆の強さはみなさんよくご存知ですよね。
演義では「桃園三兄弟」として、義兄弟の契りまで結んでいる仲です。
ただ、誰がどのくらい年上・年下なのかと考えてみると、「???」だらけなのです。
史実や演義の中の記述を手掛かりに、彼らの年齢差を推測してみます!
劉備・関羽・張飛の年齢差はこの順番!?
ゲームなどの描写では、関羽と張飛が劉備を「兄者」と呼んだりしており、張飛は関羽を兄として立てているので、3人の年齢の順番は、劉備・関羽・張飛なのかなと思いますよね。
正史の記述で言うと、劉備は161年生まれで、没年は223年です。
そして、関羽と張飛ですが、没年は220年と221年と記されているのですが、生年に関しては記録がありませんので、この時点で正確な年齢がわからなくなってしまいます。
ただ、蜀志の張飛伝に、関羽が年長者なので張飛は彼を兄のように従ったという記述は残っています。
しかし、清の康熙(こうき)年間(1662-1722)に書かれたという「関公祖墓碑記」を参照すると、少し異なってきます。
これは、王朱丹(おうしゅたん)という人物が関羽の墓碑を見つけ、そこに刻まれていたものを書物として残したというものです。
それによると、関羽は160年生まれということになっています。すると、劉備は161年生まれなので、関羽の方がひとつ年上ということになるのです。
「関公祖墓碑記」に史書並みの確実性があるのかというと、決してそうとは言い切れないのですが、これもまた興味深い資料のひとつです。
年齢差は何才?
前述の「関公祖墓碑記」を考慮に入れるなら、関羽が一番年長で、劉備よりひとつ年上になります。
あとは、演義に出てくる年齢を参考にしながら考えていきましょう。
関羽の享年は58歳、張飛は55歳となっています。これがそれぞれ220年と221年のことなので、関羽と張飛の年齢差は4歳ということになります。
では、関羽の没時(220年)で考えてみましょう。
関羽:58歳、劉備:57歳、張飛:54歳
となります。
しかし、これでは正史との矛盾が生じてしまいます。劉備は223年に没しており、享年62歳でした。
すると、220年のときは59歳でなければなりません。三国志演義はあくまで文学・講談作品なので、もしかすると事実と異なる部分があるのかもしれません。
まとめ
関羽の方が劉備よりも年上かもしれないということには、驚きですね。
関羽の出自は不明ですが、劉備はおちぶれたとはいえ地方の小豪族でしたし、黄巾の乱に際して兵を挙げたとき、関羽と張飛は劉備の護衛をしていました。
そこから考えると、自分が年上とはいえ、関羽は劉備に相当の敬意を払っていたのではないかと思います。
それに、きっと劉備の器に心酔していたのでしょうね。
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