矍鑠たるご老人が活躍するのは、見ていて爽快ですよね。
三国志にもそんなご老人が登場します。そう、黄忠です!
ところが、そんな彼を快く思わなかったのが、関羽です。
どうしてなんでしょうか?何かきっかけとなるような出来事があったのでしょうか?
そうなると、黄忠の方は関羽をどう思っていたのかも気になりますね。
この2人の仲、いったいどうなっているんでしょうか。そこのところを検証してみましょう。
関羽「あの老いぼれと同列なんて!」って、当時黄忠は何歳だった?
黄忠は、劉備の益州・漢中攻めで大きな功績を挙げ、一気に存在感を増しました。
そのことはこの戦いに参加していた武将たちには明白なことだったのですが、荊州を守っていた関羽には、それが分からなかったのです。
そのため、劉備が黄忠を後将軍、関羽を前将軍に任じ、官位的に同等となったことが、関羽には不服だったのです。
そのため、関羽は「あんな老兵と同列とは!」と任官を拒否しようとしたのでした(結局、受けますが)。
「あんな老兵」呼ばわりされた黄忠ですが、その生年は正史では不明です。そのため、このときに何歳であったのかもわかりません。
三国志演義で登場したときには、すでに60歳過ぎという設定です。史実では220年に死亡していますが、演義では222年まで生き、75歳で没する設定になっていました。
総合してみて、当時の黄忠は60歳から70歳くらいといったところかと思います。
関羽と黄忠は何歳差だったのか
関羽も黄忠も生年が不明ですが、ここでも演義を参考にしてみましょう。
関羽は220年没で享年58歳、黄忠は222年没(史実では220年)で享年75歳となっていますので、220年時点では関羽は58歳、黄忠は73歳となります。すると、2人の年齢差は15歳ということになります。
黄忠は関羽をどう思っていたのか
黄忠から関羽をどう思っていたか、正史には記録がありません。
演義でも、黄忠の具体的な言葉は残っていませんが、エピソードがあります。
登場時は関羽の敵なのですが、一騎討ちを演じます。その時、黄忠の馬がつまずき体勢が不利となりますが、それを関羽は見逃します。
恩義に感じた黄忠は、再戦時に、関羽の兜の緒に矢を当てただけで、名手と言われる自身の弓の腕をもって彼を仕留めることをしませんでした。
結局、黄忠はこれによって内通を疑われ、危うく処刑されそうになってしまうのです。
このことから見ると、黄忠は関羽を武将として認めていたと思えますね。
その他の逸話がないので、これ以上のことは何とも言えません。
2人は不仲だったのか
2人が喧嘩する様子などは、史実には出てきませんし、不仲だったという記述もありません。
ただ、関羽は劉備陣営の最古参の武将として、年上とはいえいわゆる新参者の黄忠が自分と同等に扱われることが不満だったのでしょう。
元々プライドの高い人物です。
黄忠の心情は、記録や逸話等がないのでわかりませんが、もしかすると、関羽の態度を伝え聞いていたかもしれませんね。
だとすれば、愉快ではなかったかもしれません。
まとめ
老いてますます盛んなご老人を、中国では「老黄忠」と呼ぶそうです。
そんな黄忠の活躍を、大きな度量で見守ることができていたら、関羽の株はもっと上がっただろうに…と思うのですが、いかがでしょう。
演義の中では、体勢を崩した黄忠を斬らずに漢気を見せた彼なのですから、劉備配下の第一の武将として、重みのある態度を取ってほしかったなあと思うのです。
でも、関羽もやっぱり人間だなとも思わされるのですけれどね。
この記事が気に入ったら
いいねで三国志の小ネタをお届け!
スリーキングダムズの最新情報をお届けします
Twitterでスリーキングダムズをフォローしよう!
Follow @3_Kingdoms_Info