戦国の世の中において、勇猛果敢な将軍たちには色々な呼称が付けられたりしますね。徳川四天王や賤ヶ岳七本槍とか、日本でもいろいろあります。
三国志の世界にもそれがもちろんあります。蜀には五虎大将軍という5人がいます。
きっと皆さんもお馴染みの顔ぶれですが、さっそく見ていきたいと思います!
蜀の五虎大将軍とは
五虎大将軍は、五虎大将や五虎将軍、五虎将とも呼ばれます。
顔ぶれは、関羽・張飛・趙雲・黄忠・馬超です。彼らはそれぞれが軍を率い、戦で活躍しました。
ただ、この呼称は三国志演義でのみ登場するものです。
正史ではどうなのかというと、このベースになったものが存在します。それが「蜀書第6巻 関張馬黄趙伝」で、5人の伝が1つにまとめられています。また、関羽が前将軍、張飛が右将軍、馬超が左将軍、黄忠が後将軍に任ぜられていました。
5人のプロフィール
関羽
劉備の義兄弟として、美髯公としてお馴染みです。
曹操の捕虜となっても、最終的には劉備の元へ戻っていくその忠義は、今も昔も尊敬と称賛の対象です。
武人ですが学問も好み、文武両道で部下に慕われる人物でした。劉備からの信頼の厚さは、荊州を預かる身となったことからもわかります。
しかし、樊城の戦いの後に捕らえられ、斬首という最期を遂げました。
張飛
こちらも劉備の義兄弟です。
長坂の戦いでは殿軍を務め、橋を落とし、追いすがる魏軍に向かって一喝した場面は三国志のハイライトとも言えます。
益州奪取の戦いでも連戦連勝の大活躍をおさめました。
しかし、部下によって殺されるという悲劇がその最後には待っていました。
趙雲
長坂の戦いで、敵に捕らわれた劉備の息子・阿斗を単身救い出したのが有名です。
演義では活躍が大幅に増え、負け知らずの勇将でした。
関羽や張飛亡き後は、蜀軍での存在感が大幅に増していきます。
黄忠
赤壁の戦いの後に劉備に仕えるようになりました。
老将ながら勇猛をもって知られ、劉備の入蜀や漢中の攻略で活躍します。
演義では関羽との一騎打ちも演じました。
馬超
漢中の軍閥出身で、曹操とも激しい戦いを繰り広げ、一族を殺されながらもなお復讐戦に身を投じます。
再起と敗北を重ねた後、成都攻略戦の最中の劉備に手紙を送り帰順しました。
5人の序列
五虎大将軍の筆頭は関羽とされています。
きっちりとした順番はありませんが、趙雲は他の4人に比べると大きな功績が少なかったため、位が低かったようです。
選ばれた理由
劉備が選んだという五虎大将軍ですが、これには諸葛亮の進言という後押しもありました。
関羽・張飛に関しては、義兄弟の契りまで結び、当初から共に戦ってきた仲間ですから、理由をつける必要もありません。
趙雲に関しても、演義では特に活躍を見せているので、これにも特段の理由付けは不要に感じられます。
黄忠はというと、老いてなお矍鑠としており、益州入りの際には常に先陣を務め、漢中攻めの定軍山(ていぐんざん)の戦いにおいて夏侯淵を討ち取るという功績を挙げました。
馬超は、劉備に帰順した後というよりもその前の活躍が素晴らしかったのです。地方軍閥の有力者で、周辺の少数民族とのパイプもありました。
潼関(どうかん)の戦いでは曹操に猛攻を仕掛け、その武勇を轟かせていたのです。
また、曹操によって家族を殺され、その復讐戦に立ち上がったこともその名を挙げる要因となりました。
まとめ
こうして見てくると、五虎大将軍にこの5人が選ばれるのも納得がいきますね。
演義から出てきたものとはいえ、蜀書にも5人まとめられているのなら、やはり史実的にも彼らの功績や能力が抜きんでていたことがうかがえます。
ちなみに、魏にも五将軍がいるそうですよ。
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