呂布の性格はやっぱり粗暴な裏切り者? 他の一面を探る!
三国志最強の男とも呼ばれることが多い呂布の一般的な認識は、「裏切り者で乱暴者」ではないかと思います。
ただ、もっと別の彼の一面がありはしないでしょうか。
今回は、記録やエピソードを通してそれを検証していきたいと思います。
武力一辺倒・粗暴・裏切りのイメージは本当か
呂布といえば、丁原(ていげん)と董卓(とうたく)という主を殺しています。その後、袁術・袁紹・張邈(ちょうばく)・張楊(ちょうよう)・劉備と何度も主を変えています。
そして、曹操との戦いに敗れてから助けを求めた先の劉備を裏切り、その領地を奪い、逆に従えてしまいました。
そのためか、正史の著者陳寿(ちんじゅ)は「呂布は虎の勇猛さがありながら英略を持たず、軽はずみで狡猾、何度も裏切り、自分の利益しか頭になかった。こんな人物は、今も昔も破滅あるのみ」と評しています。
正史の中の「呂布伝」にも「彼は人を疑い、家臣を制御できなかった」といった記述があります。
もちろん、彼の武芸が天下に傑出したものであることは事実です。ただ、彼が粗暴だったのかというと董卓ほど酷いものではないようで、そうした記録は見当たりません。
それよりもむしろ、正史にあるような裏切りの連続を見ると、猜疑的であったり狡猾であったりしたのではないでしょうか。
裏切りの本質
人を疑うということは、自分にも自信がなく小心者であることの現れです。
董卓を殺したのも、カッとなったということではなく、殺されそうになって恨みがあったとか、侍女と密通しているのがばれるのを恐れたからとか、臆病なところが感じられます。
主が次々と変わるのも、それを信じきれずに疑ってしまったからではないでしょうか。常に殺されるか裏切られるかでびくびくし、部下のことも完全には信じられず、孤立した彼の姿が見えるように思えます。
勢いがある時の彼は、自身の武勇をいかんなく発揮した武神です。
しかし、一旦状況が落ち目になると、臆病な彼が出てきてしまうようです。
武将として、人間として未成熟であることが感じられるような気がします。それゆえ、自分の直感や欲望のままに(良く言えば素直)動いてしまうのだと思います。子供っぽいと言えば良いのでしょうか。
呂布の性格を垣間見るエピソード
俺が劉備を助けてやる!
劉備から徐州を奪った後のことです。袁術軍が徐州に攻めてくると、呂布の部下は袁術に加担し劉備を殺そうと提案しますが、彼の答えはノー。
そして、袁術軍の司令官紀霊(きれい)との宴を催し、こう言います。
「玄徳(劉備)は俺の弟だから助けに来た。今から戟に弓を射るから、もし当たったら戦いを止めよう」
離れた場所に戟(げき・矛のこと)を掲げさせた呂布は、それに難なく矢を命中させました。感嘆した諸将は戦いを止めたといいます。
呂布の男気!と称賛したいところですが、何分劉備から徐州を奪った直後のことなので、釈然としません。
ただ、もしかすると呂布は純粋に男気を示そうとしただけだったかもしれません。だとすれば、子供っぽいやり方ではないでしょうか。
妻の言葉に左右され…
徐州で曹操に包囲され窮地の呂布は、部下の陳宮(ちんきゅう)と高順(こうじゅん)に城を守らせ、自ら打って出ようとしました。
しかし、妻が「陳宮と高順は不仲です。いつ反逆するかわかりません」と言ったため、止めてしまいました。
妻思いという側面がありつつも、仕事に身内を持ち込んでしまうという、一軍の将としての未熟な部分が見えます。
まとめ
劉備から徐州を奪った時は、城に残された妻子を保護したりもしています。
ただ、虎の勇猛の下に隠された、臆病な彼の本質がその運命を左右したように思えます。
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