三国志に登場する異民族 いったいどんな人々たちの事!?

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三国志に登場する異民族といえば、演義の世界になりますが、諸葛亮が征伐に向かった南蛮が思い浮かびます。

しかし、南蛮だけが異民族ではありません。

中国は、東の海に面する場所以外はすべて異民族に囲まれていたのです。

当然、違う民族同士が共生するのは容易なことではありません。

どんな異民族が当時いたのか、三国志の世界とどう関わっていたのかを見ていくことにしましょう。

三国志に登場する異民族

鮮卑(せんぴ)

中国北部の広大な地域を支配した遊牧騎馬民族です。

当時は内情が不安定で、曹操に貢物を献上して外交関係を築いていました。五胡十六国~南北朝時代にかけて北魏を建国しています。

烏桓(うがん・烏丸とも)

中国北部、現在の内モンゴル自治区付近に勢力を誇った遊牧騎馬民族で、匈奴から独立した勢力です。

袁紹と結んでいましたが、その死後は三男の袁尚を保護しました。そのため曹操の標的となり、206年に降伏しました。

南匈奴(みなみきょうど)

中国北部に一大勢力を誇った匈奴が分裂したうちのひとつです。

時の単于(ぜんう/匈奴の首長はこう呼ばれた)は曹操の庇護を受けており、力は低下していました。

羌(きょう)

中国西北部、魏や蜀との国境付近を支配していた遊牧民族です。

馬騰・馬超父子がこの血を引いているため彼らと結んだりしましたが、基本的にはどこにも属さず、時と場合で結ぶ相手を変えていました。

氐(てい)

中国西部の内陸、現在の青海省付近を支配した遊牧民族です。

馬超と結んで曹操に反乱を起こしますが、敗れて降りました。

五胡十六国の前秦を創設した符堅(ふけん)はこの民族です。

南蛮

中国南西部、現在の雲南省付近に勢力を伸ばしていたと考えられますが、南蛮遠征の記述は演義のみであるため、あのようにジャングルの人間離れした民族であるかどうかは不明です。

山越(さんえつ)

中国南東部、呉の領内に存在したと考えられます。

ただ、多くの少数民族の総称であるとされています。

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劉備・曹操・孫権などは何民族!?

3人の出自

劉備・孫権共に地方官吏の子息です。

劉備においては中山王劉勝の末裔、孫権は兵法家孫武の末裔を名乗っています。

曹操は中常侍(ちゅうじょうじ)という高位宦官だった祖父を持っており、このように官職を得た人物が身内にいるということで、少なくとも異民族ではないと考えられると思います。

孫権に関しては、「紫髯碧眼」と称されますが、これは演義のみの描写で、正史には紫髯とのみ書かれています。

そのため、異民族的な要素の碧眼は排除しても良いでしょう。

中華思想の存在

当時の中国には中華思想というものがありました。簡単に言うと、漢民族を至上とし、他はみな蛮族ということです。

すると、異民族が官位を得て仕えるということができるとは考えにくいです。ただ、広い中国ですから、どこでどう血が混じっているかはわかりません。

もしかしたら、少しは異民族の血が混じっているのかもしれませんが、それは論ずる域ではなかったと考えられます。

元々がれっきとした漢民族の姓であれば、問題なかったのでしょう。

実際、劉氏は漢の高祖劉邦から連なる姓、曹氏は劉邦に従い漢建国に貢献した曹参(そうしん)の血筋で、孫氏は兵法家として有名な孫武(そんぶ)の流れを汲むとされており、由緒正しい姓だったのです。そして、これをもって自身を漢民族と称することが可能だったのです。

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まとめ

北方の異民族の制圧と懐柔に成功したことで、曹操と魏は呉と蜀により強く当たることができるようになりました。

一方、蜀は南蛮を相手にし、呉は山越がおり、それと魏を相手にすることは大変だったはずです。ここにも国力の差が表れてしまったのですね。

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xiao

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投稿者プロフィール

イケメンでインテリで強い男が好きです。その中に人間の可愛げがあったら最高です。
三国志にはそんな人物が多すぎて、誰が一番なんて言ってられないのが現状です。
そんな魅力的な歴史絵巻を、わかりやすくお伝えできたらと思っています。
動物好きのため、赤兎馬に憧れています。

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