張飛の妻は夏侯淵の姪!? ロリコンなんて話も!
歴史の陰には女性あり、なんて言われたりもしますが、表舞台には女性ってほとんど出てきませんよね。
三国志も然りです。みなそれぞれ妻がいるわけですが、どういう女性だったのかはほぼわからないのです。なので、少しでも記録がある女性は本当に貴重です。
そんな貴重な妻の一人が、張飛の妻です。
張飛に奥さんってなんだか現実味がないような気もするんですが、ちゃんといましたよ。
そんな張飛の妻について、記録などをもとに迫ってみようと思います。
張飛の妻はどんな人物!?
張飛の妻とされる女性については、魏志によると、曹操の臣下・夏侯淵(かこうえん)の息子・夏侯覇(かこうは)の従妹であるといわれています。
つまり、夏侯淵の姪っ子にあたるわけですね。なお、魏志には彼女が当時13~14歳で、張飛に捕らわれて妻となったと記録されています。
張飛との出会い
魚豢(ぎょかん)が著した魏の歴史書「魏略」には、張飛と妻の出会いについて書かれています。
直訳すると、「(張飛の妻となる)娘が山で薪を拾っていたとき、張飛の得るところとなった。張飛はそれが良家の娘と知り、妻とした」ということです。
山で出会うというのにはなんだか違和感がありますし、魏志の「捕えた」という記述とも違うのですが、これが2人の出会いだったようです。
良家が夏侯氏を指していたのだろうと思われます。
子供は何人いた!?
子供は娘が2人いました。なんと2人とも劉備の息子:劉禅の妃となっています。1人が早くに亡くなったためもう1人が妃になったようです。
1人については敬哀皇后だという記録があります。おそらく、姉が先に嫁ぎ皇后となったものの亡くなってしまったため、もう1人が新たに妃となったのでしょう。
夫婦仲について
正史については、2人の仲についての記録はありません。
ただ、正史でないところからの説としては、張飛と妻が駆け落ちをしたというものがあるのです。
当時、劉備は曹操の配下にいましたが、袁術(えんじゅつ)の討伐を命じられた際、出奔したきり曹操の下に戻ることはありませんでした。当然、張飛も劉備に従います。
しかし、妻は夏侯氏ですから、曹操を裏切る夫についていくことは駆け落ちも同然ということになります。結局2人の間に娘が生まれ育っているわけなので、妻は張飛についていったのですね。
だとすれば、駆け落ちしてまでも一緒にいたかったという2人は、とても愛し合っていたのだと思われます。
まとめ
張飛の妻が夏侯氏だと思われる裏付けは、後に夏侯覇が蜀に投降した時、降将でありながら車騎将軍に任ぜられ、非常に厚遇されているところです。
従兄が蜀に来てくれたなら、彼女は嬉しかったことでしょう。
それにしても、娘たちが2人とも妃になるとは、さぞかし美人姉妹だったのでしょう。張飛の妻も美しかったのかもしれませんね。
張飛と妻の関係を考えるにあたって、真っ先に浮かんだ言葉は、「三国志版・美女と野獣」でした。
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