張飛は本当に大酒飲み!? そのイメージの起源はどこから?
お酒を飲まれる方だったら、酒の上での失敗というのは、ひとつやふたつあるかと思います。
なんであんなことをしてしまったんだろう…と頭を抱えたくなるようなこと、ありませんでしたか?
張飛は酒飲みだったとか、酒乱だったとか、とかく酒と共に語られることが多いですよね。
しかしこれって本当なんでしょうか?記録に残るほどの大酒飲みだったんでしょうか。
その辺りを検証してみましょう。
張飛は本当に大酒飲み!?
実は、正史においては張飛と酒に関する記録はありません。
「張飛=酒」というイメージは、三国志演義から作られたものだと考えられます。
具体的な酒量にまでは言及されていませんが、酔っ払って失態を犯す程度の量を飲んでいたということになりますね。
演義の中では、張飛はかなりの大酒飲みだったと思われます。
実は酒癖も悪かった!?
前述のとおり、正史には張飛と酒の記録がありません。そのため、現実の張飛の酒癖については推し量ることができません。
ただ、正史の中で劉備が「刑罰で人を殺すことがあったり、日ごと兵士を鞭打ちのはいけない」と諭しているほど、部下に対する罰が厳しかったようです。
演義では、それを酒のせいにすることもあったというわけです。
酒で失敗したエピソード
これは演義に出てくるエピソードになります。
劉備と関羽が張飛を残し、袁術(えんじゅつ)討伐へ向かったときのことです。
当時、曹操に敗れた呂布が徐州の劉備の元へ身を寄せていました。留守を任された張飛ですが、義兄たちとの禁酒の誓いを破ってつい酒を飲み泥酔してしまいます。
そして、呂布に隙を突かれて城を奪われてしまいました。
また、張飛の最期も酒に関係するものとなっています。
関羽の敵討ちに打って出る準備をしていた張飛ですが、その夜は酒を飲み、酔って寝入ってしまいました。
そこを、日頃から厳しい刑罰を受けていた部下たちによって、寝首を掻かれてしまうことになったのです。
酒が自分の命を落とすきっかけになるとは、最大の失敗ですよね。
一方、張飛が自分の酒癖の悪さを逆手に取ったエピソードも出てきます。
呂布の死後、徐州で独立した劉備に曹操が劉岱(りゅうたい)という将を差し向けます。
合戦前に、張飛は兵士の士気を上げるために宴を催し、その場で酒に酔って部下を暴行します(あくまでこれは演技です)。
この部下は劉岱の元に逃げて軍の内情を知らせ、それを信用した攻め込んできた劉岱は、反対に張飛軍に捕らえられてしまうことになったというものです。
まとめ
巷に流布するイメージは、得てして三国志演義から来るものであることが多いようです。
講談物は、登場人物をいかに面白く魅力的なキャラクターに仕立て上げるかが勝負でした。
そのため、張飛は大きな欠点を持ちつつも魅力ある人物として描かれることが多かったようです。そのために使われた小道具が「酒」だったわけですね。
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