曹丕とその妻 甄姫との関係 最期はとても悲しい終わりだった
曹操と同じく、曹丕もまた沢山の側室を抱えていました。
その中でも、甄姫は戦のさなかで得た妻だといいます。それも、その時既に人妻だったとか。
甄姫はどのような経緯で、曹丕の妻となったのでしょう。また、戦乱の世に生きた女性は、どういう立場にあったのでしょうか。
生まれながらの才女
「文昭甄皇后伝」によると、甄姫は漢王朝の太保:甄邯の子孫で、家は代々二千石の官吏だったとあります。かなりのお嬢様だったようです。三男五女の末娘でした。他の兄姉は全員名前が残っていますが、何故か彼女だけ判明していません。
幼い頃から、遊ぶことよりも書法を好んでおり、兄達の硯や筆を使うので咎められると「昔の優れた女性は、歴史で成功や失敗を学び、それを戒めとしていました。文字を知らなければどうやって学ぶのでしょうか」と答えたそうです。
非常に心根の優しい女性で、未亡人となった義姉には心を込めて尽くし、厳しい母を諫めています。袁煕に嫁いでからもその慈愛は変わらず、夫が幽州刺史として地方へ出た際は、鄴に残って姑の世話をしています。(出来たお嫁さんです!)
価値のある「美しい女性」
鄴が曹操の手に落ちると、曹丕は真っ先に袁紹の館に踏み込みました。そこで甄姫を見初め、妻として迎えたのです。
当時、戦利品の中に女性が含まれていることは珍しくなかったでしょう。美人姉妹で有名な大喬・小喬も、元は捕虜でした。見目良い女性の扱いはこのようでしたが、甄姫が人妻というところに問題は無かったのでしょうか。
実は、父親である曹操が人妻を娶っています。杜夫人といい、呂布配下・秦宜禄の妻でした。呂布討伐後に側室として迎え、その間に子を三人もうけています。連れ子まで可愛がるという好待遇です。
そもそも、曹操・曹丕は、女性の出自や身分を気にしなかったようです。曹丕の母、卞皇后はもともと歌妓でしたし、曹丕もまた、召使いから女官となった郭皇后を妻にしています。
おまけに曹操が亡くなった後、子を成していない側室を全て自分のものとしたという話まであります。とにかく、美人なら立場もどうでもよかったのでしょうね。
悲しい最期
甄姫は、曹丕との間に一男一女を生んでいます。
曹丕が王位につくと側室が増え、甄姫に対する寵愛が薄れていきます。失意の甄姫が恨み言を言ったため、曹丕は立腹。使者を使わせ、自殺させました。
曹丕によって大きく変えられた人生は、最期まで曹丕に決められてしまったのです。唯一の救いは、息子である曹叡が帝位についたことでしょうか。

By: Luo Shaoyang
まとめ
戦乱の世で、その美貌故に人生を翻弄された女性達。彼女達の運命は、夫となる男性次第だったのでしょう。
もしかしたら甄姫も、杜夫人のように曹操に娶られていれば、長生き出来たのかも知れません。
この記事が気に入ったら
いいねで三国志の小ネタをお届け!
スリーキングダムズの最新情報をお届けします
Twitterでスリーキングダムズをフォローしよう!
Follow @3_Kingdoms_Info