中国は、日本よりも姓の数が少ないようで、割と同じ姓の人たちって多いですよね。劉や李はその筆頭です。
そして、同じ姓というのは元をたどれば一応血縁になるということにはなっているようですが…。
そこで、今回のテーマは蜀の武将:馬超と馬岱です。
三国志の舞台では割と後半に登場する彼らは同じ姓です。しかし、親子とか兄弟というわけではなさそうです。
それではどんな関係があるのでしょうか。それでは、見ていきましょう!
2人は主従関係!?
なぜ主従関係なのかという言葉が出てくるかというと、ゲーム:三國無双の中で馬岱が馬超を「若」と呼んでいるからなのです。ということは、馬超が主で馬岱は家臣なのでしょうか。
そこを考えていくには、馬超の家柄を考慮に入れる必要があります。
馬超の父:馬騰(ばとう)は、中国北西部の涼州に一大勢力を築いた軍閥の長でした。曹操によって馬騰が誅殺されると、馬超はすべてを父から引き継ぎます。そのため、馬超がこの勢力のトップというわけです。
また、これは三国志演義での話になりますが、曹操に攻められたとき、馬岱は馬騰に従っていました。
しかし、難を逃れて馬超に合流します。そして、馬超や韓遂(かんすい)と共に曹操へ反乱を起こして戦いました。
ですが、それに敗れると、馬超と共に羌(きょう)族の元へと逃れています。そして、張魯(ちょうろ)軍に馬超と加わり、劉備と戦いましたが、後に仕えることになります。
つまり、こうやって見てみると一貫して馬岱は馬超に従っているのです。
こうして見てくると、馬岱は馬超を馬一族のプリンスとみなし、仕えていたことになりますね。
同じ「馬」姓だが、親戚なのか
先に述べたように、同じ姓は親戚関係になるという考えがあります。
例えば、劉備が漢の高祖劉邦の子孫を名乗ったようにです。
馬超と馬岱ですが、従兄弟であるという記録が残っています。ただ、どのような従兄弟であるのかまでは分かりません。ただ、一族であることは間違いないようです。
また、「蜀書」の「馬超伝」には、馬超が死の間際に劉備に対して「私の一族はほとんど曹操に殺されてしまいましたが、馬岱のみ生き残っています。馬氏の祭祀を彼に継がせてほしいのです」と言葉を残しています。
ここで馬岱のことを「一族」と言及しているので、血がつながっていることがわかります。
まとめ
馬岱に関しては、記録はほぼないのです。正史に伝が立てられていないほどなので、本当に記録に乏しいのでしょう。
そんな馬岱の活躍は三国志演義で見られます。魏延の「俺を殺せる奴がいるか」という叫びに「ここにいるぞ」と応じて斬り捨てたという、実にクールな見せ場が用意されています。
演義の演出があるにせよ、馬超と馬岱が同じ一族であり、馬岱が馬超に従っていたということは事実のようです。
なので、もしかするとゲームの様に「若」と呼んでいたかもしれませんね。
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