三国志演義での”一騎打ち”。名勝負が見られる迫力ある場面ですが、皆さんはどの一騎打ちがお気に入りでしょうか。
今回は、数ある一騎打ちの中から許褚(きょちょ)VS馬超をご紹介します。
怪力で名高い許褚と、錦馬超の勝負。この一騎打ちはどの戦いで起きたのか、また、正史との違いについても詳しく見ていきましょう。
戦うことになったわけ
演義において、馬超の父:馬騰は、董承(とう しょう)らと曹操暗殺計画に加担しており、それが露見したために殺されています。
復讐を決意した馬超は父、そして一族の仇を討つべく挙兵すると、その勢いで長安を攻め落とし、遂に潼関にて曹操と対峙したのです。
許褚との一騎打ち
馬超は魏の将達を次々と退け、曹操に槍先を突きつける程まで近づいています。曹洪らに阻まれたために一度退きますが、今度は、曹操が渭水(いすい)を渡るところを襲っています。
ここで許褚が奮戦します。彼は曹操を背負って船に乗り、船べりに手をかける兵を斬ると、馬の鞍で矢を防ぎ、船頭が死んだ後は、みずから船を漕いでいます。これは正史でも同じであり、曹操は許褚が居たために生還出来たのです。
そして、その後の乱戦を経て、いよいよ二人は一騎打ちを始めます。
彼らの戦いぶりは凄まじく、途中、許褚は鎧を脱ぎ捨てて半裸にまでなっています。長く打ち合っても勝負はつかず、馬超の持っていた槍が奪い合いになり、ついに折れてしまいました。しかし、その半分になった槍で、二人はなおも戦い続けたのです。結局、この激闘は決着がつかずに終わりました。
後に馬超は、「これほど強い者と戦ったことは無かった。」と韓遂に語り、曹操もまた、「呂布にも劣らない」と、馬超の強さを認めています。
許褚と馬超の強さは、演義においては互角ということでしょうか。
正史との違い
正史における潼関の戦いでは、この二人の一騎打ちはありません。しかし、許褚は前述のように曹操を守り抜いていますし、馬超とも確実に顔を合わせています。それは、魏書・許褚伝に詳細があります。
戦いの途中、曹操は馬超・韓遂らと、単身、馬上で会見しており、この時、許褚だけを引き連れていました。
馬超は密かに曹操を攻撃するつもりでいたのですが、以前から許褚の武勇を聞いていたため、もしやと思い、曹操に「虎侯という者が居るそうだが、どちらに居るのか」と尋ねました。
すると、曹操が振り返って指した先に、馬超を睨む許褚の姿があったそうです。
結局、馬超は行動を起こさずに引き上げました。
ひと睨みで敵の戦意を削ぐとは、物凄い気迫だったんでしょうね。ここでぐっとこらえて、短慮を起こさなかった馬超もさすがだと思います。
まとめ
正史には、演義での激しい一騎打ちはありませんでした。
しかし、許褚と馬超が接近し、互いに警戒し合った様子も興味深いです。そこでもし一騎打ちがあったら、どちらが勝っていたのでしょうか。そんな風に考える人は多いと思います。
演義での一騎打ちは、そのために生まれたのかも知れませんね。
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