曹丕は食レポしちゃうくらい葡萄が大好きだったらしい!?
ネットでもよく見かけますが、曹丕が「葡萄好きだった」という話があります。
日本の葡萄は中国よりもたらされたものですが、三国時代には既にあったようですね。
その葡萄に関する発言は、どんな本に記されているのでしょうか。詳しくみてみましょう。
出典元は
唐代の段成式(だんせいしき)が書いた随筆集、酉陽雑俎(ゆうようざっそ)という本です。
中国における伝説、宗教、故事、動植物にまつわる異聞がまとめられており、その中の巻十八の七四七「蒲萄」(ぶどう)の注記に、曹丕の発言が明記されています。
葡萄をべた褒め!
「夏から秋に渡り、まだ暑気が残っている頃、酒に酔い、二日酔いに悩みながら露をおしぬぐって食べると、その甘さはしつこくなく、やわらかくて酸っぱくない。冷たいが歯にしみない。味が残っていて汁気が多く、蒸し暑さを除き、渇きをいやす。さらに、醸(かも)して酒にすると、麹の酒よりうまく、酔い心地がよくて醒めやすい。言葉にするだけでも涎が流れ、唾がたまるほどだ。まして実際に口にした場合はどうであろう。他の果物でこれに匹敵するものがあるだろうか。」
なんだか高級ブドウの食レポを聞いているようですが、こんなにべた褒めするんですから、相当好きだったんでしょうね。
他にも、曹丕は荔枝(れいし=ライチ)についても語っていますが、「いま、荔枝を将吏に下賜した。これを口にしてみると、その味が薄いことを知った。」とあり、ブドウと比べると、あまり美味しくは感じなかったようです。(だから人にあげたのでしょうか?・笑)
葡萄は何処から来た?
葡萄は、前漢の頃に西域より伝わったとされています。
「史記」大宛列伝では、大宛(フェルガナ)の良馬や葡萄酒についての記述があり、その存在は既に知られていました。
では、曹丕の頃には、葡萄酒は一般的な果実酒になっていたのでしょうか。
当時の葡萄酒
後漢の頃、酒は穀物酒の他に、果実酒も作られていました。葡萄が入ったことによって、葡萄から酒も作られるようになったのでしょう。
実は、曹丕のお気に入りであった孟達(もう たつ)の父は、後漢末期の宦官:張譲(ちょう じょう)への賄賂として、葡萄酒を渡しているのです。これによって、彼は涼州刺史の地位を得ています。
それだけ貴重な物だったということは、醸造出来る量はまだ少なく、曹丕ですら、頻繁に口にすることは難しかったのかも知れません。だからこそ、葡萄について語ったものが残ったのでしょうね。
まとめ
曹丕はよく珍しいものを手に入れていたと思いますが、その中でも特に葡萄、そして葡萄酒を好んでいました。
当時、既に葡萄酒があったことにも驚きましたが、やはり希少なお酒は進物としても喜ばれていたようですね。定期的に曹丕へ葡萄酒を送っていれば、四友のように気に入ってもらえたかも知れません(笑)。
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