徐晃の性格はとても慎重でストイックだった!?
魏の五将軍にも数えられた武将:徐晃。
他の武将達と比べると、やや地味な印象を受ける方もいらっしゃるかも知れませんが、実は彼は、無敗の将とも呼ばれる凄い人なんです。
しかし、彼は多くの戦功を挙げても、決して驕る人ではなかったと言われています。
徐晃という将は、本当はどんな人だったのでしょうか。戦場でのエピソードなどを交えて、ご紹介します。
とても慎重な性格だった
正史には彼の性格が詳細に書かれています。
彼はとても慎重な性格をしており、戦いの際は常に遠くまで物見を出し、敗走した場合を考えた上で戦っていたそうです。
しかし、攻める時は徹底的に攻め、追撃中の兵士達は食事をする暇も無かったとか。
徐晃という人は勇気と力のみならず、思慮深さも兼ね備えていたようですね。
実際にはどんなエピソードが残されているのか、ご紹介します。
樊城で関羽を破る
樊城にて、曹仁を救援した時の事です。
「正史三国志」魏書・趙ゲン伝によると、諸将はこの時、徐晃をかなり急かしていたようです。しかし、徐晃が引き連れていた部下は、部隊に配属して日の浅い者ばかりでした。
敵は関羽です。このまま戦っても勝てないと判断した徐晃は、趙ゲンからの進言もあり、一旦、陽陵陂(ようりょうは)に駐屯し、新たな援軍が来るのを待ちました。
そして、曹操より派遣された兵馬が到着すると、徐晃は満を持して出陣。巧妙な戦法で敵を陥れ、遂には関羽をも打ち破ったのです。
万全を期してこそ、本来の能力が発揮出来るもの。それをわかっていたからこそ、血気に逸ることなく、待つ事が出来たのでしょうね。
古人に例えられる
徐晃のこの戦功を、曹操は大絶賛しています。余程喜んだのか、徐晃が摩陂(まひ)に凱旋すると、曹操は7里(約3km強)先まで彼を出迎え、祝宴を開いています。
この時は他の部隊も集まっており、多くの兵が持ち場を離れて見物していましたが、唯一、徐晃の陣営は整然としていたそうです。
曹操は、陣から動かない将兵を見て増々感嘆し、「徐晃は周亜夫(しゅう あふ=前漢の文帝から真の将軍と称えられた武将)の風格がある。」と、褒め称えました。
部下は上司の鏡ですね。徐晃は周亜夫のように、軍規に厳しい武将だったのでしょう。
まとめ
徐晃は常に、「古人は明君と遭遇しない事に悩んでいたが、私は幸運にも逢えた。尽力し、功績をあげることは当然の事だ。何故名声を考える事があるだろうか。」と言っていたそうです。
その言葉通り、彼は最後まで自分の立場を良くしようとはせず、交友を広げたり、後ろ盾を作ることはしませんでした。
正に孤高の人。実にカッコイイです!彼の生き方を真似ようと思っても、簡単に出来る事ではありません。
徐晃がストイックに生きたのは、偏に主君のためだったのでしょうね。
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