許褚の武勇伝! 黄巾の乱での活躍に迫る!

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剛力で知られた魏の武将:許褚ですが、彼が名を上げたのは、黄巾賊を相手に戦った事だとされています。

曹操に仕える前の許褚は、黄巾賊と戦ったこともあったんですね。一体、どのような戦いぶりで有名になったのでしょうか?

演義との比較もあわせて、詳しく見てみましょう。

石を投げつけ、黄巾賊を追い払う

後漢末期、許褚は若者と一族数千家を集めて砦を固め、敵からの侵略を防いでいました。

そこへ黄巾賊一万余りがやってきて、許褚らの砦を襲います。

必死に抵抗するも許褚の軍勢は少なく、味方は疲弊するばかりで、遂には矢弾も尽き果ててしまいました。

そこで許褚は代わりになる物をぶつけようと、砦に居る者達に命じて、湯呑や升くらいの大きさの石をかき集め、砦の四隅に置かせました。

どれほどの距離があったかは不明ですが、許褚は敵に向かって投げつけ、ちゃんと当てています。

しかも結構な威力があったようで、賊軍は怯んで、それ以上進んでこなかったのです。

イチローばりのレーザービームで石をぶつけてる姿を想像したんですが、筋力のある許褚ならあり得なくはないですよね(笑)。

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怪力を見せつける

しかし、石よりも先に食料が尽きてしまい、籠城にも限界が来てしまいました。

この時、許褚はあることを思いつきます。まず、賊軍に和睦しようと持ち掛け、牛と食料を交換することにしたのです。

賊がこれを承諾して牛を受け取ったのですが、この牛はすぐに、元居た許褚達のところへ戻ってきてしまいました。

すると、許褚は待ってましたとばかりにこの牛を捕まえ、片手で尻尾を掴むと、賊軍の方へ引き摺り、百歩余りも歩いたのです。

賊軍はこの許褚の怪力ぶりに驚き、牛も受け取らずに逃げて行ってしまいました。

この出来事は広く知られることとなり、皆、許褚を恐れたそうです。

演義では何儀(か ぎ)を捕まえる

「三国志演義」では、許褚は更にパワーアップ。

黄巾の残党:何儀を捕まえますが、彼を追ってきた典韋と出くわし、許褚は挑発します。これに乗った典韋と一騎打ちをしますが、日暮れまで戦っても決着がつきません。

2人の激闘が曹操の耳に入るや、彼は許褚を得るべく、罠にかけて捕らえたのです。演義では、これが曹操との初対面でした。

この時、許褚は自己紹介がてら、正史にあった砦での出来事を語っているのですが、なんと、演義では牛がもう一頭増えているのです!

つまり、両手に一頭ずつの牛の尾を持ち、二頭の牛を一緒に引き摺っていたのです。これは、賊も逃げますよね……。
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まとめ

許褚の怪力は、黄巾賊との戦いで披露していたんですね!使い方も中々スマートです(笑)。

また、演義では人物の特徴が誇張されることが多いですが、許褚も例外ではありませんでした。

ちなみに、バッドマウス禰衡(でい こう)からは「牛馬の番人が適当」と言われてしまっています。

曹操のもとでも、また牛やら馬を引き摺ってたんでしょうか?(笑)

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高村真琴

高村真琴

投稿者プロフィール

猫とお酒と三国志が好きな一児の母です。
項羽と劉邦からハマってしまい、漢書と正史は既にバイブルの域に。中華街に行くのも大好きで、三国志グッズを探しては買い集めています。
わかりやすく、読みやすい文章を心がけて書いています。

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