三国志を題材にしたゲームや漫画では、魏の武将:夏侯淵は、夏侯惇のことを「惇兄」と呼んで慕っています。
同じ夏侯の姓を持つこの二人は縁戚とみられますが、厳密にはどういった関係なのでしょうか。正史に二人の逸話が残されているのかも気になりますよね。
今回は夏侯惇と夏侯淵、2人の関係に詳しく迫ります。
演義では「兄弟」
「三国志演義」では、この2人は実の兄弟として登場します。夏侯惇が兄、夏侯淵が弟です。
戦場ではよくセットで行動しており、夏侯惇が目を射られた時、助けに入ったのが夏侯淵でした。
また、夏侯惇の実子:夏侯楙(かこう ぼう)が、演義では夏侯淵の子を養子にしたという設定になっています。
とても密接な関係を築いていますが、正史ではどのような違いがみられるのでしょうか。
正史では「従兄弟」
「正史三国志」魏書・夏侯淵伝には、「夏侯淵は字(あざな)を妙才(みょうさい)といい、夏侯惇の族弟(いとこ)であった。」と書かれています。
両者ともに生年・没年が判明していませんが、夏侯淵の方が年下だったようです。
しかし、それ以上に親密度を測れるような記載が、2人の伝には無いのです。特に不仲とも書かれていないので普通に仲が良かったとは思うのですが、何も無いのは意外ですね。
それでも儒教の国ですし、親戚としてお互いを大切にし合っていたのではないでしょうか。何より、両者は曹操の旗揚げ時代から付き従っています。長く苦楽を共にした仲ですから、それこそ兄弟のように接していても、おかしくはありませんよね。
性格は正反対!?
演義では2人とも勇猛な将軍として描かれ、性格も似ているように見えます。しかし、実際は違ったようです。
特に夏侯惇は、学問を大切にしていました。
彼は少年のうちから師に付いて学んでおり、軍中においても師を迎え入れてまで講義を受けていたのです。性格も清廉で、且つ慎ましやかだったとか。
一方の夏侯淵は、情には厚い人でしたが、戦場では速攻を頼みとする猪突猛進タイプで、あまり思慮深い性格ではなかったようです。曹操からも常々、知略を用いよと戒められていたほど。
戦場での活躍は夏侯惇よりも多く記載されているので、意外ですね。
しかし、彼は三男:夏侯称(かこう しょう)に、漢書の「項羽伝」や兵法書を読ませようとしたことがあったのです。
自分には不向きでも、才能ある息子には知識を与えたいと思ったのかも知れません。
結局この案は失敗し、夏侯称は古人に倣うことを拒否しています。
その辺りも、父親に似たのでしょうか?(笑)
まとめ
正史では、この2人は従兄弟同士という関係でした。
現代の私たちが思う以上に、血縁というものが重要視されていた時代です。
特別な逸話はみられませんでしたが、彼らは演義のように親しみ合っていた仲だと思います。
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