郭嘉は品行が悪い不良軍師だった!?

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曹操を助けた薄命の天才軍師:郭嘉。

その英明さで多くの功績を残しましたが、そんな彼に「素行の悪さ」を指摘されたことがあったといいます。

頭脳明晰な軍師ゆえに品行方正なイメージがありますが、彼は何故そんなことを言われてしまったのでしょうか。

陳羣(ちん ぐん)より度々指摘される

「正史三国志」魏書・郭嘉伝にはこのようにあります。

陳羣は郭嘉の品行が修まらぬと批判し、たびたび朝廷で郭嘉を起訴したが、郭嘉は平然として意に介さなかった。

普段の行いがよろしくないと言われています。しかし、その具体的な内容は郭嘉伝、陳羣伝には一切ありません。

陳羣もまた、道義に反する事はしない人でしたし、朝廷で口に出すくらいですから、不確かな情報ではなかったのでしょう。しかも、”たびたび”です。

そうなると、この内容は想像するしかありません。この時代、郭嘉ほどの人となると、何をすれば素行が悪いと言われてしまうのでしょうか。

この時代、男性が道楽を尽くそうとするならば、飲む・打つ・買うくらいではないかと思います。さすがに犯罪は犯さないでしょうから……。

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態度が悪かった?

郭嘉は最初に袁紹のもとを訪れていますが、去り際、袁紹の謀臣:辛評と郭図にこう言っています。

「そもそも才人は主君の人物をはっきりと判断するものです。判断してこそ、すべての行為は安全確実に、功業名誉をうち立てられるのです。袁紹殿は無駄に士人にへりくだった周公の真似をしようとしていらっしゃいますが、人を使う機微についてご存じではありません。色々とやりながら肝心なところが疎かで、策略好きな割には決断力が無い。天下を救い、王者の事業をとりおさめようと思っても、彼には難しいでしょうね。」

つまり、「あんたらの大将アホだから帰るわ」です。結構……いや、かなり失礼です。どうせ留まらないのだし、言わなくてもいい気がするのですが……。

もしかしたら郭嘉は、普段からこのように、同僚相手でもハッキリ物を言う性格だったのかも知れません。

郭奕の性格に似ていた?

また、郭嘉の性格について詳細は分からないのですが、彼の息子に関する記述があります。

太子の頃から曹丕に仕えた、王昶(おう ちょう)という人が居ます。魏書・王昶伝に、子供達へ向けて戒める文が書かれているのですが、その中に郭嘉の子:郭奕(かく えき)について書いています。

「潁川の郭奕は洒脱な人で、理解が早く物知りであった。しかし人柄については、度量が広くなく、他人を軽蔑・尊敬するのが極端だった。気に入ればその人を山のように重んじ、そうでなければ草のように軽んじた。私は知人だったから彼と親しくしていたが、我が子にはそのようにしてほしくはない」

頭は良いけど性格に難あり、だったようです。子は親を見て育つと言いますから、郭嘉にもそんなところがあったのかも知れません。

By: Jim G

まとめ

陳羣の意見を聞いても、曹操は郭嘉を大切にしていました。郭嘉の働きぶりから、多少の事は気にならなかったのでしょう。

しかし、陳羣のことも公正であるとして、気に入っていました。才能を重んじる、曹操らしいですね。

実は曹操も一緒になって、郭嘉と羽目を外していたのかも……と考えると、郭嘉を注意しなかったことも、陳羣を相手にしなかったことにも納得いくのですが(笑)。

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高村真琴

高村真琴

投稿者プロフィール

猫とお酒と三国志が好きな一児の母です。
項羽と劉邦からハマってしまい、漢書と正史は既にバイブルの域に。中華街に行くのも大好きで、三国志グッズを探しては買い集めています。
わかりやすく、読みやすい文章を心がけて書いています。

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