劉備の性格は本当に善人な面だけ!? 黒い部分はなかった?
曹操とか孫権の性格って、何となく想像つきませんか?
曹操なら冷徹なリアリスト、孫権なら酒乱の坊ちゃま…という軽い感じではありますが、だいたいのイメージがあります。
でも、劉備はどうですか?
周りにいる人物はすごいし、みんな何故か彼の元に集まってきてしまいますよね。
いったいどうしてなんでしょう。今回はそのヒミツを見ていきましょう。
本当に劉備は善人!?
伝わっている劉備の人物像としては、口数少なく他人にはへりくだった態度で接し、喜怒を表に出さないという、実にできた人物としてのイメージがあります。
関羽や張飛という猛者に慕われ、うまく使いこなしているのは、やはり人間ができているからなのでしょう。
諸葛亮を三顧の礼で迎えたというのも、他人にへりくだり、相手の才能を素直に認めることができる長所があったからだと思われます。
こういったところは、諸葛亮を配下に加えた後に顕著になってきます。眼力がさらに養われていったのでしょう。
記録はすべて「劉備=性格良い」?
正史「三国志」の著者陳寿は、劉備を「度量が大きく、意志が強く、心が広い。礼儀正しく、人を見る目があり、これは前漢の高祖(劉邦)に通じる」と評しています。
完全にベタ褒めです。正史の著者がそう伝えるのですから、劉備という人は人間的に優れていたのかなと思いますよね。
「三国志演義」には、若い頃の劉備はむしろを売って生計を立て、母親を養っていたと描かれます。
これは演義の話なので誇張もあるかと思いますが、孝行息子は、いつの時代も賞讃の対象です。
また、亡くなる際に諸葛亮に「君の才能は曹丕の10倍だ。もし我が子劉禅が補佐するに足りないと思えば、君が代わって皇帝となり国を治めてほしい」と遺言しました。
部下に全幅の信頼を置いたからこそ言える言葉で、諸葛亮は震えるほど感激したことでしょう。
こんな悪人っぽい一面もあった!
曹操に大敗し逃げる際に、劉備は、妻の甘夫人と赤ん坊だった息子阿斗(後の劉禅)を、足手まといだと打ち捨ててしまいます。
良い人イメージの彼がこんなことをするとは、びっくりしますよね。
このときは生きるか死ぬかの大ピンチだったので、仕方ないことだったのかもしれませんが…でも捨ててしまうってどうなんだろうと思うわけです。
しかし、趙雲が夫人と阿斗をちゃんと救ってくれたので(長坂の戦い)、結果オーライというわけです。
武士は二君に見えず、なんて言葉が日本にはあったりしますが、劉備はそうではありません。
曹操・袁紹・劉表と流れ流れて、本意ではなかったかもしれませんが益州を乗っ取って蜀を建国するのです。前述でのイメージとは少しずれるような気がします。
まとめ
劉備は決して悪人ではなかったと思います。100パーセント悪人だったら、あんなに多くの人材が集まることはなかったでしょうし、悪人だったらそれなりの評が伝わっているはずです。
諸葛亮への遺言などを見ると、自分を補佐してくれた人々への配慮が第一に感じられ、彼の元に人材が集ったわけがわかるような気がしました。
この記事が気に入ったら
いいねで三国志の小ネタをお届け!
スリーキングダムズの最新情報をお届けします
Twitterでスリーキングダムズをフォローしよう!
Follow @3_Kingdoms_Info