三国志に登場する南蛮って、現在でいうと場所はどこ!?
私たち日本人が「南蛮」と聞くと、戦国時代の南蛮貿易を連想することが多いと思います。
その場合、南蛮は主にオランダやポルトガルを指しますよね。
しかし、三国志演義では、諸葛亮が南蛮へと遠征するエピソードがありますが、その南蛮はオランダとは違いますね。
ジャングルのような感じなのですが、いったいどこに遠征をしていたのでしょうか。
三国志における南蛮の場所、そこに暮らす民族などを紹介していきます。
現在でいうと、南蛮はどの辺り!?
南蛮は南中と呼ばれてた地域で、益州の南部にあたり、現在でいうと雲南省やミャンマー北部に当たります。
三国志演義の描写だと、熱帯雨林のジャングルでトラや象が出てくるような場所なので、東南アジアを連想してしまいがちですが、実際は熱帯雨林という感じではなく、山がちな場所です。
トラくらいならば、実際にも生息していたかもしれませんが、さすがに象はいなかったと思われます。
当時の中国においては、中国本土外の南部の異民族はすべて南蛮(南方の蛮族)でした。
自分たち漢民族の支配が及ばない地域はすべて蛮族の住む地域とみなしたのです。
南蛮民族とは言葉が通じない!?
南蛮の王として登場する孟獲(もうかく)は、史実では南中の豪族であるため、遠征軍であった蜀と民族的には同じということで言葉は通じます。
しかし、演義にのみ登場する南蛮の王たちは、とても言葉が通じるような雰囲気でない人物がいます。
例えば、木鹿大王(ぼくろくだいおう)ですが、白象に乗り猛獣や毒蛇を使いこなす人間です。ちょっと文字のある世界に生きているとは思えませんよね。
そして、さらに強烈な人物は、兀突骨(ごつとつこつ)です。身長約3m、鱗で覆われた身体をし、獣や蛇のみを食べるという、もはや人外の域に達しています。
この設定の背景
南蛮の地に人口が集中しているとは考えにくいです。
しかも未開の地に近い場所ですから、制圧したとて支配地域が広がるだけで、被支配人口が飛躍的に増えるとは思えません。
ましてや、言葉も通じにくい異民族に、漢民族のシステムは通用しなかったでしょう。
しかし、それでも南蛮制圧をエピソードとして入れ込んだのかというと、漢民族による異民族の制圧という意味合いが大きいと考えられます。
中華思想に基づく、漢民族至上の考えがあったのではないでしょうか。
異民族を配下に入れるということは、民族として一段上に立つということなります。実際、馬超は羌(きょう)族に影響力があり、そのことが重要視されていました。
また、南蛮を領地にすることで、南方への逃げ道ができたとも考えられます。もし、魏や呉にかなわず敗走したとしても、劉禅を戴いて南蛮に逃げ込み、再起を期するという選択肢が広がったとは考えられないでしょうか。とはいえ、諸葛亮がそんな消極的なことを考えるとは思えませんが…。
まとめ
諸葛亮の南蛮遠征は、三国志演義で登場するエピソードでした。
ちょっと雰囲気の変わった話でしたが、後半でこの話が入ることで、小休止的な意味合いもあったと思います。
三国志演義が書かれた時代には、東南アジアの情報がもっと入ってきていたことでしょう。
それを利用して、この南蛮という世界観が作られたのかもしれません。
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