「三国志」と「三国志演義」 二つの違いってどんなところ!?
三国志には、「正史三国志」と「三国志演義」の二つが存在しています。
三国志を語る上ではどちらも欠かせない作品ですが、この二つの違いは何なのでしょう?
出来た経緯や時代は違うのか、私達がよく知る「三国志」はどちらなのか、そもそも、英雄達の記録がまとめられたのはいつ頃なのか……?
そこで、今回はこの二作品についてご紹介します。私達がよく知る「三国志」とは、どちら寄りのものなのでしょうか。
「正史三国志」
「三国志」は3世紀後半、陳寿によって書かれた、中国の正式な歴史書です。
魏を正統とし、「史紀」などの歴史書と同じく紀伝体で書かれ、「魏書」30巻、「呉書」15巻、「蜀書」10巻の計65巻で構成されています。
しかし、その内容があまりにも簡潔であったため、5世紀、宋の文帝は裴松之(はい しょうし)に命じて、注記を付けさせました。
裴松之は200余りの資料を調べ、陳寿があえて取り除いていた信憑性に欠ける逸話でも、「デマだ」と書きつつ取り入れています。これは、当時の史料や諸説の存在を知る上でも役立つものになっており、何より、「三国志」を読み物として格段に面白くしているのです。
陳寿の書いたものが不完全というわけではありませんが、事実のみが淡々と書かれた文体を読むと、確かに、注記が欲しくなるのも頷けます。
彼がこのような書き方をしたのは、その境遇に理由があるのではないかと言われています。
著者:陳寿の境遇
「三国志」の作者:陳寿は三国時代の末期(233年)に生まれました。仕えていた蜀が滅亡すると、以後は西晋に仕え、「三国志」を編纂しています。
ただでさえ歴史書の編纂は慎重になるものですが、それぞれに皇帝が居た魏・呉・蜀の何れを正統とするかは勿論、元は蜀に仕えていた自分の立場や、扱う時代が近い事など、陳寿が神経を尖らせる要素は多くありました。疑わしい情報を徹底的に省き、史実のみを書く事に専念したのは、そのためだと言われています。
一方で、故国である蜀を優遇する表現もしており、彼の故郷に対する想いが垣間見えるところもあるのです。
歴史家:陳寿の苦悩を思いながら正史を読むと、また違った感想が生まれるのかも知れませんね。
「三国志演義」
もう一つの三国志、「三国志演義」は、14世紀の中頃、元末期から明の初期にかけて、羅漢中(ら かんちゅう)によってまとられた歴史小説です。全120回。
正史がベースですが、こちらは劉備を正統な漢王朝の後継者としており、また、娯楽作品らしく、物語を面白くするための脚色や創作が盛り込まれています。私達に馴染み深い、聖人君子の劉備や酒好きの張飛、絶世の美女:貂蝉などを作り上げたのは、演義が初めだったのです。
劉備が主人公ということで、蜀の登場人物はよりカッコ良く、敵(特に魏)はよりコンテンパンにされているのが演義の特徴です(笑)。演義ならではの演出、戦は、創作と言えどもワクワクしっぱなしですよね。赤壁での諸葛亮のスーパーマンぶりは、何度見ても寒気がする勢いです……(笑)。
演義ベースの作品に慣れている方はギャップに驚く伝が多々ありますが、寧ろそこも楽しめるのではないでしょうか?
まとめ
演義に親しんでいて、”主役”である蜀の扱いがどれ程違うのか?と興味を持った方は、正史を読んでみるのも面白いかも知れませんね。
「演義」と「正史」は別物なのですから、「演義の○○は好きだけど正史の○○は嫌い」というのもアリ!そういう楽しみ方をするのも「三国志」ならでは。
私が初めて正史を読んだ時は、「え!これも本当にあった事だったんだ!」という感動が大きかったです。
どちらが「正解」かではなく、どちらが「好み」かで良いと思います。皆さんのお好きな方を、より深く楽しんでみてください!
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