関羽に子供は何人いた!? ゲームでお馴染みの人物は実は架空の人物?
三国志に登場する主だった人物には、たいていは子供がいます。
しかし、親が有名でも子供がそうであるとは限りません。
特に、三国志に登場する人物が非常に魅力的であるがゆえに、その子供まで注目されないことの方が多いですよね。
諸葛亮にも子供はいましたが、父ほどの名前を残してはいません。
それでは、蜀の陣営で最高の武将・関羽の子供たちは、どんな人物だったのでしょうか?
関羽の子供は何人いたの!?
関羽の子供たちについては、正史では関平(かんぺい)と関興(かんこう)の2人、娘が1人確認できます。
しかし、三国志演義では、関平は関羽の養子ということになっています。
また、同じく演義に登場する関索(かんさく)は関羽の三男とされていますが、この人物に関しては正史に確認できません。
そのため、ゲームではお馴染みですが、架空の人物ではないかと言われています。
また、娘に関しても、正史に孫権の息子との縁談が持ち上がった娘の記述がありますが、このほかに、三国志に由来する民間伝承の中に関銀屏(かんぎんぺい)という娘が出てきます。しかし、彼女も、おそらく創作上の人物であると思われます。
そのため、関羽の子供たちは、息子2人と娘1人の存在が確実です。
子供たちの生涯
それでは、関羽の子供たちについてご紹介しましょう。
関平 ?-220 字:不詳 正史では実子、演義では養子
正史での関平は関羽の実子です。父と共に荊州防衛戦に臨みますが、その際に捕らわれ、父と同じく首を斬られてその生涯を終えています。
演義では、関定という人の次男で、関羽の養子となりました。
益州攻略戦に参加し、荊州では父と共に襄陽を攻めて活躍しますが、敗戦の後に父と首を取られて最期を遂げます。
関興 生没年不詳 字:安国 実子
正史に登場する関興は、関羽の死後に跡を継いだと記録されています。
才能ある若者で諸葛亮からも期待されており、20歳の若さで侍中(じちゅう)・中監軍(ちゅうかんぐん)となり、皇帝の側近と軍隊の長を兼務しました。
しかし、数年後に亡くなってしまいます。
演義では、関羽と共に樊城(はんじょう)を攻めましたが、たまたま戦列を離れたため難を逃れます。
そして、張飛の息子・張苞(ちょうほう)と義兄弟の契りを結び、名コンビとして活躍しました。父の弔い合戦ではその霊に助けられ、仇の潘璋(はんしょう)を討ち取ります。そして北伐に参加しますが、後に病没しました。
関索 生没年不詳 字:維之 演義と民間伝承にのみ登場する架空の人物
関索は、演義と花関索伝という民間伝承の一種にのみ登場する架空の存在です。
演義でも出てくる版とそうでないものがありますが、関羽の三男ということになっています。
荊州が奪われ関羽が討たれた後は身を隠していましたが、諸葛亮の南蛮征伐の際に駆けつけて活躍しました。
花関索伝は、関索を中心とした創作物語で、三国志の人物やその子供たちが登場するものです。
関銀屏(かんぎんぺい) 生没年不詳 民間伝承にのみ登場する架空の人物
関銀屏は関羽の三女として民間伝承に出てきますが、架空の人物です。
とても美しい女性で、張飛が可愛がり名付け親となっています。この伝承の中で、孫権の息子との縁談が持ち上がっており、史実にある縁談話の対象となった娘のモデルではないかと推測されます。

By: kanegen
まとめ
関羽の子供たちに関しては、創作もかなりあります。
ちょっと混乱してしまいますが、正史では、実子の息子は関平と関興だけが記録に残っています。
ただ、関興は優秀な若者だったことは確かなようですね。早逝したのが惜しまれます。
蜀に関しては、こういう人物を早くに失ってしまったことが不運でした。
この記事が気に入ったら
いいねで三国志の小ネタをお届け!
スリーキングダムズの最新情報をお届けします
Twitterでスリーキングダムズをフォローしよう!
Follow @3_Kingdoms_Info