異名って、とてもカッコいいと思いませんか?
国は違いますが、伊達政宗の「独眼竜」とか、武将の異名はみな総じてカッコいいように思えます。
もちろん、三国志の人物にもそういった異名やあだ名があります。いったいそれらはどのようにつけられたものなんでしょう。
幾つかをピックアップして、由来を紹介していきたいと思います。
「燕人張飛」の燕人って何?
燕(えん)というのは国の名前です。周~春秋戦国時代にかけての国で、建国者は召公奭(しょうこうせき)といい、周の建国にあたってのたいへんな功労者でした。
張飛の出身は幽州の涿(たく)郡(現在の河北省涿郡)で、これはちょうど燕があった場所になります。
そのため、「燕人」と名乗ったと考えられます。
その他の三国志に登場する武将のニックネームの由来
有名なところでは、美髯公と呼ばれた関羽、そして、美周郎こと周瑜が挙げられますが、彼等の場合はその外見に由来するニックネームとされています。
関羽:美髯公の場合
見事な髭で有名な関羽ですが、実は正史には「髭が美しかった」としか記載がありません。
そして、このイメージを膨らませたのが三国志演義です。
曹操の捕虜になってしまった関羽ですが、曹操は彼を部下にしたくてたまらなかったというのは皆さんご存知かと思います。
そして、宴席を開いた曹操は、関羽の髭を話題にしました。すると関羽は、自身の髭の手入れについて、「抜け落ちないように、黒い紗の布袋でくるんでおいて、人に会う時だけ外すのです」と話します。
そこで曹操は、髭袋を関羽にプレゼントしました。関羽がそれを着けて献帝に謁見すると、皇帝の目に留まります。さっそくそれを外させると、関羽の見事な髭は下っ腹にまで届くほどでした。
それを見た献帝は、「まさしく美髯公だな!」と感嘆したということです。
献帝が名付け親というのは、ちょっと意外ですね。
周瑜:美周郎の場合
周瑜の場合も、正史には美周郎という記述はありません。「瑜、長壮にして姿貌あり」ということのみです。
やはり、美周郎は三国志演義から来たもので、周は「周家」の意味、郎は「若君」のような意味です。
それらを合わせると、「美形の周家の若君」という意味になります。
正史の記述も、簡潔ではありますが、周瑜が優れた容姿の持ち主であったことを伝えています。
ただ、細身で女性的な美貌ではなく、体躯の堂々とした偉丈夫であったという意味であると推測できます。
まとめ
美髯公や美周郎といった、巷に浸透したニックネームまでが三国志演義からのものだとは、驚きですね。
しかし、ニックネームが付くことで、読み手(聞き手)は想像しやすくなりますし、覚えやすくなります。
そして何より、カッコいい!こうしたキャッチーさが、広く一般に知られることになった要因なのでしょうね。
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