馬超の性格はボンボンの坊ちゃん気質!?
正史と演義でかなり違う描かれ方をしていることで有名な馬超。
特に演義の印象が強いようですが、彼はいったいどんな性格の人物だったのでしょうか。
今回はそんな馬超のエピソードから本当の性格を探っていくことにしましょう。
坊ちゃん気質?短気?本当の性格は
馬超は関中(陝西省西安付近)一帯を支配した地方軍閥の一族です。父:馬騰(ばとう)が総領だったため、彼自身はいわゆる「若様」であったのでしょう。
よく坊ちゃん気質と言われるのはこのためだと思われます。
また、自分が挙兵したため父が殺されることとなったり、和議の約束を破り相手を殺し、結果的に自分の妻子を殺されたりしています(後述)。
それでいて、病床で「私の一族は曹操に誅殺され、誰も残っていません」と言ってしまうあたり、あまり深くものを考えない人物であるかのように思えます。
自分の危機を脱するためには手段を選ばず、時に非道さえも犯すのですが、それが非道であるという自覚が薄いような気もするのです。そこも坊ちゃん気質であるのかもしれません。
また、非を指摘されると怒る、短気な部分がありました。彼に反乱を起こした人物の母親を捕えますが、親不孝者の反逆者と罵られたために即座に殺しています。加えて、その一族を皆殺しにしています。
このように、激高しやすい面が見て取れます。
行動から見る馬超
父を見捨てる
馬超の父:馬騰は曹操に仕えることを選びました。しかし、後に曹操が兵を挙げると(漢中の宗教勢力・張魯/ちょうろを討つためだったとも、そう見せかけて馬超たちを討つためだったとも言われている)、馬超は自分が討たれるのではと思い、かつての仇敵であった同じ軍閥勢力の韓遂(かんすい)と結び反乱を起こします。
当然、曹操の元にいた馬騰は殺されることになりました。引き連れていた馬一族もすべて誅殺されたのです。
韓遂と結ぶ際、馬超は「私は父を捨てて貴方を父と呼ぶ。だから貴方も(曹操の人質になっている)子を捨てて私を子としてください」と言っています。
自分を守るために仕方がなかったことで、父を見捨てるのは本意でなかったかもしれません。ですが、自分が挙兵すれば父は死ぬことは分かっていたはずですし、かつて母と兄弟を殺した仇敵の韓遂と結ぶという時点で、理解しがたい部分もあります。
韋康(いこう)を殺し、復讐される
曹操との潼関(どうかん)の戦いに敗れた後、馬超は巻き返しを図り、近辺の勢力を味方につけました。そして、涼州刺史(甘粛省の長官)の韋康が立て籠もる城を包囲します。彼が放った援軍要請の使者も殺してしまいます。
包囲は長期に及び、援軍も来ず、韋康はついに城門を開け降伏しました。このとき、彼と馬超の間には和議が取り付けてあったのです。
しかし、馬超はそれを破り、彼を殺してしまいました。
韋康の部下はこれを深く恨み、後に挙兵し馬超に復讐戦を挑みました。この時馬超は敗れ、城に残していた妻子は彼らに殺されることとなりました。
なぜ和議を結んでおきながらここまでしたのか、結果的に復讐の連鎖が生まれ、妻子を殺されるに至った事実に彼の思慮に欠けた部分を感じます。
まとめ
逆上しやすく、勢いで人を殺してしまう一面があった馬超。自分を律する精神が弱かったのでしょう。ただ、戦場においては無類の強さを誇り、馬一族のプリンスでもありました。カリスマ的な面はあったのかもしれません。
一方で、もしかすると一連の非道は本意でなく、局面の打開のためにやむを得ず行ったことで、最後に悔悟の念が劉備への「私の一族は誰も残っていない」という言葉に現れたと考えたいような気もします。
読み方によって人それぞれの馬超像が生まれるようで、それもまた有りなのかなと感じました。
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