司馬懿と諸葛亮 2人はゲームで描かれるように本当にライバル!?

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司馬懿のライバルは諸葛亮、諸葛亮のライバルといえば司馬懿…という話は一般的によく聞きますね。

しかし、あれだけ色々な人物が登場する三国志の世界で、本当に彼らはライバル関係だったのでしょうか。

諸葛亮なんて、他にも絡んでた人物がいるじゃない!?なんて思われる方もいらっしゃるかもしれません。

さて、本当のところはどうなんでしょうか。

ゲームではライバルだけど…本当にそう?

三国志を一般により浸透させたのには、ゲームの力が大きいと思います。みんなカッコ良く描かれているんですよね。そういうゲームの世界では、やはり、司馬懿と諸葛亮がライバルとして描かれています。

司馬懿と諸葛亮の接点は、三国志の後半になります。

蜀は魏への北伐を合計5回行うのですが、彼らが対峙したのは、実際には4回目(231年)と5回目(234年)だけなのです。ライバルとするのは、対決した時間が少ないような印象も受けます。

そもそも、司馬懿はその名「司馬」が示す通り軍事のエキスパートでしたが、諸葛亮は丞相を務める政治家でした。

得意分野が根本から違ったわけです。諸葛亮の場合、演義の中の「軍師」というイメージが強すぎたのでしょうね。

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2人がライバルとして描かれる理由

2人がライバルとしてみなされるようになった理由として、最も大きいのは、羅貫中による「三国志演義」です。

大筋は史実通りですが、この中では、北伐すべてで2人が対戦したことになっています。勝ち負けについても異なる部分がありますが、やはり物語として面白くできているので、世間の認識も彼らがライバルということになっていったのだと思われます。

三国志演義においてもはや主人公といってもいい扱いの諸葛亮が亡くなるのは、司馬懿と戦っていた五丈原です。

司馬懿はこれを察知し、蜀軍に追い打ちをかけますが、蜀軍は強烈な攻勢に出たため、司馬懿は諸葛亮がまだ生きていると思い直し、退却したという話があります。「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という故事成語の元となりました。

諸葛亮とライバル関係?の人物

司馬懿の他に、諸葛亮のライバルとして描かれている人物がいるのでしょうか。

次に思い浮かぶのは、周瑜ではないかと思います。とはいってもこれも三国志演義の中なのですが、呉と蜀が同盟を結ぶ際に、諸葛亮が孫権をうまく説得します。孫権の心の内を完璧に読んでいた諸葛亮に対して、周瑜は愕然としながらもライバル心を燃やす…という流れなのですね。

しかし、ここでは、周瑜は諸葛亮の策に翻弄されているような姿ばかりが目立つような感じがします。

味方の中でなら、龐統でしょうか。諸葛亮が「臥龍」、龐統が「鳳雛」とその才能を並び称されました。ただ、龐統は割と早い段階で戦死してしまうため、2人が揃って策を競わせる場面がありませんでした。

まとめ

やはり、存在感の大きさや故事成語になるほどの史実、五丈原の戦いという大一番での相手ということで、司馬懿と諸葛亮はライバルとみなして良いのかもしれません。

正史のみからの印象だと少し違うのかもしれませんが、やっぱり、我々は優れた才能には常にライバル関係を求めるのでしょうね。

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xiao

xiao

投稿者プロフィール

イケメンでインテリで強い男が好きです。その中に人間の可愛げがあったら最高です。
三国志にはそんな人物が多すぎて、誰が一番なんて言ってられないのが現状です。
そんな魅力的な歴史絵巻を、わかりやすくお伝えできたらと思っています。
動物好きのため、赤兎馬に憧れています。

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