司馬懿のイメージ どうして彼は悪役になっている!?
三国志における登場人物の中で、司馬懿という人はとりわけメジャーな部類に入るとは思うのですが、彼の好感度となると、そんなに高くないように思われます。
何を隠そう私は司馬懿のファンなのですが、やはり私の周囲に史実の司馬懿ファンはあまり居ません(笑)。(ゲームキャラのファンは居るのですが……)
これはやはり、彼に「悪役」のイメージがつきまとっているからでしょうか?
悪役と言えば曹操も同じですが、司馬懿の印象は、彼とは違ったもののように思えます。
そこで今回は、司馬懿に対するイメージについて考えてみました。
彼は何故、悪役という印象が根付いてしまったのでしょう?
演義での印象
そもそも「三国志演義」は劉備を中心に描かれていますから、敵対する魏軍の将は誰であれ悪の手先と見られても仕方無いのでしょう。
司馬懿に至っては物語の後半、諸葛亮の北伐を直接対決で阻止しています。
その諸葛亮は、志半ばで倒れた劉備の遺志を継いだ人です。彼のバックボーンを良く知る読者にとって、宿願が成就されなかった事はこの上ない悲劇だと感じるのでしょう。
能力では決して劣る事が無かったのに、勝負する事すら出来ず、時間切れを狙った司馬懿の前に倒れてしまいました。
こういった狡猾な手口を使う事も、嫌われる要因の一つではないでしょうか。それは、正史・演義に限った話ではありません。兎に角彼は敵に対して、陰険で冷酷でした。
徹底的に敵を滅した非情さ
司馬懿は238年、遼東で反乱を起こした公孫淵を斬っていますが、この時に公孫淵とその一族郎党をはじめ、公孫氏が遼東を支配してから移り住んだ住民のうち15歳以上の男子も全て殺しています。公孫淵とほんのわずかでも関わりのあった者は、殲滅したのです。
これは後の反乱の種を取り除いたということなのでしょうが、この徹底したやり方に、残酷非道だと感じる人も多いのではないでしょうか。
また、反乱した孟達、王淩に対しては、相手をいたわる書簡を送っておいて油断させ、みずから大軍を率いて追いつめています。
王淩の場合、丁寧にも司馬懿は王淩のいましめを解いてやり、印綬を彼の手に戻してまでいますが、王淩は司馬懿が自分を生かしておくはずが無い事を悟っており、護送中に自ら毒をあおりました。彼が敵に容赦ない事を知っていたのです。
魏の簒奪
しかし、司馬懿を悪人と位置付けた一番の理由は、簒奪でしょう。実際は政変を起こした年に亡くなっているため、司馬懿は最期まで魏の臣という立場を崩していません。しかし、彼が基盤を作らなければ、司馬炎の即位は成し得なかった筈です。
いつの時代も、主君への裏切りは非難されるものです。事を起こすまで、彼が魏の為に尽力していたことは間違いありませんが、忠臣であればこのような行動は起こさなかったでしょう。
とはいえ、曹魏がダメになる一方なのは誰が見ても明らかで、孫礼などは涙を流して、司馬懿に行動を起こすよう訴えかけていました。(司馬懿はこれに対し、「まあ落ち着け、ちょっとの間我慢してろ」と言っています。)
彼の目的が魏の為か、それとも司馬氏の為だったのかは謎ですが、何れにせよ逆臣と呼ばれる事に司馬懿本人は心外だと思っているのかも知れません(笑)。
まとめ
正史の様々な伝を読んでも、司馬懿は人を和ませるようなエピソードがありません。
「悪役」というよりは、計算高くて仕事は何でもこなせる凄い奴なんだけど、何を考えてるか判らない不気味な奴……という印象もあるように思えます。
もしかしたら、敵に対する苛烈な処置も、全て魏の忠臣と見せる為のものだったら……なんて考えると、余計に司馬懿という人が恐ろしく感じますね(笑)。
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