司馬懿はどんな兵法を得意としていた? その真髄に迫る!
司馬懿は諸葛亮を「稀代の天才」と評していましたが、彼もまた、その天才と渡り合った人物でした。
戦術家として様々な兵法書を参考にしたと思うのですが、彼は主に、どんな兵法を得意としていたのでしょうか。
有名「孫子の兵法」をもとに、彼のとった戦術を見てみましょう。
孫子の兵法「兵は詭道なり」
始計篇より。孫子はこのように説明しています。
- 力があっても無い振りをする
- 必要なものを不要と見せかける
- 遠いと見せかけて近づく(その逆も)
- 有利だと思わせて誘いだす
- 敵が混乱していればその地を奪う
- 敵が多ければ守りに徹する
- 敵が強力であれば正面からの戦闘は避ける
- 敵に余裕があれば挑発して消耗させる
- 敵が慎重であれば、油断させる
- 敵が団結していれば分断させる
- 敵の弱点を見つけ、不意打ちをする
要約すると、「戦の基本は敵を欺くこと」ということです。
「狼顧の相」を持つ司馬懿は、得意中の得意じゃないでしょうか。彼は戦場に限らず、敵・味方の目を欺いています。
実際の例を見てみましょう。
本心を隠す
出仕したばかりの頃は曹操より警戒されていましたが、真面目に仕える様子を見せて、その疑いを解いています。
最初は敵ではなく、主君相手にというところが司馬懿らしいですね(笑)。
五丈原の戦いでは、諸葛亮から女性用の髪飾りを送られても、決してその挑発に乗ることはありませんでした。
ちなみに、中国で放送されていた三国志のドラマでは、司馬懿はこの時送られた女物の服を、「折角もらったんだから」と、軍使の前で実際に羽織って見せ、「どうかな?似合う?」とまでやっています。これには軍使の方が顔を赤くしてしまうという場面がありました。司馬懿は、内心怒りを覚えていても平静を装う事が得意だったといいますから、やりかねないですよね(笑)。
しかし、守りに徹していた自軍の兵は度重なる挑発に限界を感じ、勝手に飛び出しかねない勢いでした。
司馬懿は、こうした味方の不満を抑え込むのには苦労したようで、そのため、明帝:曹叡に出撃の許可を要請しています。曹叡が軍中の様子を察し、改めて出撃を禁じたので、諸将はおとなしく命令に従うしかありませんでした。勿論、司馬懿に交戦する気など無かったのですが、味方の諸将に「指揮官である自分も耐えている」と、見せかける必要があったのです。
迅速に孟達を斬る
そして、騙し打ちで有名なのは、孟達を斬った時でしょう。
孟達は蜀からの降将でしたが、司馬懿は最初から彼を信用していませんでした。そのため、孟達と仲の悪かった申儀(しん ぎ)から、「孟達に叛心あり」と密告を受けると、彼の反逆を確信し、兵を起こします。
しかし、この時司馬懿は宛に駐屯しており、孟達の居る新城郡から1,200里(約520km)離れていました。
そこで、司馬懿は時間稼ぎのために、孟達を疑っていないことなどを書いた書簡を送り、彼を迷わせます。さらに夜を日に継ぐ行軍で、ひと月はかかる距離をたった8日で到達したのです。これには孟達も驚き、結局、彼はろくに抵抗も出来ずに斬られています。
約520kmを8日!直線距離で、東京から岡山あたりまでです。途中で何度も馬を変えての強行軍だとしても、兵達は休む暇も無かったんじゃないでしょうか。
防衛戦では守りに徹し、攻める時は思いもよらない速さで行軍し、相手の隙を突いたのです。「兵は神速を貴ぶ」とは言いますが、これは速過ぎですね……。
まとめ
兵法書の内容は至ってシンプルです。読めば、ごく当たり前の事が書かれていると思うのですが、実際に活用しようとすると、自分が置かれている状況を客観的に見て、正しい判断を下さなくてはならないのです。
この能力に長けている人こそが軍師であり、優秀な指揮官として、軍勢を任される立場になるのでしょう。司馬懿は正に、そういう人物だったのでしょうね。
ちなみに、孫子の兵法は、現代ではビジネスにも活用出来るとあって色んな本が出ています。
しかし、諸葛亮や司馬懿のように、まずは冷静に自分を見つめる事が出来るようにならないといけませんね……。
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