司馬懿の奥さん 張春華は鬼嫁だった!?
三国志随一の軍師、諸葛亮の北伐を防いだ司馬懿。頭が切れすぎる故か、どこか冷たいイメージがつきまといます。
巷では、そんな彼の正妻はとても怖い、鬼嫁だ……なんて話があるのです。
司馬懿の妻、張春華とはどんな人物だったのでしょうか。
張春華とは
張春華は189年、董卓が献帝を擁立した年に産まれています。
父の名は張汪で、魏の粟邑の県令。母は山氏で、竹林の七賢の一人、山濤の大伯母にあたります。
司馬家に嫁いだのですから、やはり毛並みは良かったようです。若い頃から道徳があり、才女であったといわれています。
鬼嫁? 張春華 侍女を殺す
201年、司馬懿は司空:曹操より出仕を命じられますが、その気が無かったため病と偽り、断っていました。
ある日、書の虫干しをしていたところ突然雨が降りだしたので、司馬懿は表に出て書物を取り込みます。しかし、その様子を一人の侍女に目撃されていました。
夫の詐病が曹操にまで知れ渡るかも知れない、そう恐れた張春華は、口封じにその侍女を殺してしまいます。
この一件で司馬懿は妻を重んじるようになったとあります。
時期が明白でないのですが、司馬懿は208年に出仕しているため、この事件は201~208年の間に起きたのではないでしょうか。
しかし、201年では張春華はまだ12歳で、これより前に嫁いでいるとは考えにくいです。
ですが、もし12歳での話だとすると……想像するだけで恐ろしいですね。
夫婦仲の様子
208年、張春華が19歳の頃に長男・司馬師を産んでいますから、遅くとも207年ごろまでには結婚していたのではないでしょうか。
司馬懿は、この10歳下の妻との間に3男1女を授かっています。そのため夫婦仲が悪かったとは思えないのですが、こんな話が残されています。
司馬懿が側室を娶るようになり、張春華は夫と顔を合わすことが稀になっていました。
そんな時、司馬懿が病で臥せったと聞き、張春華は見舞いに訪れます。すると、「老いぼれは憎らしい、何故出て来るのだ」と罵られたのです。
これに恥じ、憤った張春華は食を断って死のうとします。しかも子供達まで同様に断食したため、司馬懿は慌てて謝罪をし、事を収めました。
しかし、謝った事が余程悔しかったのでしょうか、部屋を出る際に「老いぼれが惜しいわけではない、子供達を救いたかっただけだ」と言っています。
負け惜しみを言った司馬懿も大人げないと思いますが、怒りのあまり当てつけに死のうとするところを見ると、張春華という女性は随分と気の強い性格だったようです。
当時は珍しい!? 高齢出産
張春華を生母としている子らの中に、司馬榦という人物がいます。
彼の生年は232年ですから、事実だとすれば、張春華が43歳の時に産まれたことになります。この時代にこの年齢での高齢出産は、かなり珍しいのではないでしょうか。
別の側室の子ではないか、との説もありますが、上記の夫婦喧嘩の後に産まれていたとしたら、そんなに夫婦仲は悪くなかったのでは?と考えてしまいます。
そして、張春華は247年に59歳で亡くなっています。
上記のエピソードが無かったとしても、最後まで司馬懿と連れ添い、子孫を残した女性です。女傑と呼ぶに相応しいのではないでしょうか。
この記事が気に入ったら
いいねで三国志の小ネタをお届け!
スリーキングダムズの最新情報をお届けします
Twitterでスリーキングダムズをフォローしよう!
Follow @3_Kingdoms_Info