発見された曹操の墓の場所は何処にある? 偽物って話の真偽は!?
日本でも大きくニュースで取り上げられた、「曹操の墓」の発見。
当初から懐疑的な意見が多かったのは、曹操が生前、盗掘を免れるため72ものダミーを造らせたという説が残されていたからです。
見つかった墓の真偽は?そもそも、どうやって発見されたのでしょうか。
きっかけは「魯潜墓誌」
1998年4月23日、河南省安陽県安豊郷西高穴村の村民が偶然、石板を発見しました。
後趙時代(319年 – 351年)に存在した、魯潜という人物の墓誌でした。そこには墓への行き方が書いてあり、「魏の武帝陵の西北から西に43歩、更に北に250歩進むと魯潜墓の明堂に辿り着く」と続いていました。
実際、魯潜の墓から東南で遺跡が発見されました。残念ながら盗掘に遭っていましたが、その後、本格的な調査が始められました。
本物だと発表される
西高穴村の墓からは、「魏武王常所用格虎大戟」(魏の武王が虎と戦うために使っていた矛)などと書かれた銘文が発見され、遺骨の年齢が曹操の没年と符号すること、他にも、墓地の規模や特徴などから、西高穴村の陵墓は曹操のものであると結論付けられました。
他に、2名の女性の遺骨が発見されています。骨盤の状態から、ともに経産婦であり、そのうち50歳以上とみられる遺骨は、正史に「高陵に合葬した」と記録された卞氏ではないかと言われています。
勿論、まだ否定説が無くなったわけではありません。曹操に近しい人物の墓ではないかという見方が多いようです。
お墓の見学をするには
2009年の正式な発表以降、西高穴村には多くの観光客が押し寄せました。一時は一般公開もされていたようですが、現在、個人旅行者は入れないようです。
中国の旅行代理店がツアーの中に組み込んだりしていますので、見学したい場合はツアーに参加した方が良いようです。
英雄たちの墓
1984年、孫呉で活躍した朱然の墓が安徽省馬鞍山市で発見されました。紡績工場建設のための工事中に、偶然見つかったとされています。
歴史的価値の高い遺物が多数発掘されており、現在は朱然家族墓地博物館として、無料で公開されています。
意外にも、三国志に登場する武将達の墓は他にも多く存在しており、観光名所にもなっている大きな廟から、何も無いところににぽつんと墓石のみが立っているものまで様々。
後者はやはり辿り着くのに苦労するようですが、好きな武将のお墓なら、一度はお参りしてみたいですね。
まとめ
三国志の時代から1800年ほど経っています。
その時代に生きた人達の名前や所業が語り継がれているだけでも凄いことだと思いますが、いまだにお墓が残っていることに驚かされます。
欲を言えば中国には、是非とも周囲を整備して、大事に大事に残して頂きたいものです(夏侯惇のお墓は造成のために無くなってしまいました……)。
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