曹操の信頼が最も厚かったと言われた、夏侯惇。
この2人は従兄弟同士であると言われていますが、従兄弟と聞くと、家族のように近しい存在だと思いますよね。
曹操は、能力ではなく、親族だったから信頼していたんでしょうか。
夏侯惇も、曹操に対して、他の重臣とは違った接し方をしていたのかも気になります。
2人の関係を詳しく見ていきましょう。
従兄弟同士という根拠
「正史三国志」魏書・武帝紀における「曹瞞伝」「世語」によると、「曹嵩(そう すう=曹操の父)は夏侯氏の子で、夏侯惇の叔父である。太祖(曹操)は夏侯惇に対して従父兄弟(いとこ)に当る。」と、あります。
つまり、互いの父親が兄弟ということですね。
2人の信頼関係
夏侯惇は、204年に鄴が陥落すると昇進し、河南尹の任はそのままとし、法令に拘束されず、自己の判断で処置をとることが許されました。216年には孫権征伐のため、曹操に同行しており、翌年、二十六軍の総司令官として、居巣(きょそう)に駐留しています。
演義での夏侯惇は、将軍の代名詞という感じがするのですが、実際はみずから前線に出ると、あまり振るわない人でした。しかし、内政・統率力には秀でていたようで、そうした彼の能力は、曹操に認められていたと思います。
さらに、夏侯惇が確実に特別視されていたエピソードが存在します。
219年に関羽が曹仁を包囲すると、曹操は摩陂(まひ)に出陣。この時、曹操は夏侯惇を召し寄せており、同じ車に乗せ、特別に親愛と尊重の意を示し、寝室の中にまで出入りさせています。この扱いは、他の諸将には無いものだったそうです。
不臣の礼
夏侯惇はこの時まで魏からの官号を受けておらず、漢王朝の官という立場では曹操と同じでした。
そこで夏侯惇は、自分はそのような「不臣の礼」(臣下として扱われない特別待遇)を受けるような人間でないと述べたところ、曹操は「最高の扱いとは、臣下を先生として待遇することで、その次は、臣下を友人として待遇することだと私は聞いている。そもそも、臣下とは徳義を重んじる人のことである。取るに足らぬ魏が、どうして臣下として君に頭を下げさせようか。」とまで言っています。
しかし、夏侯惇が強く要請したために、曹操は彼を前将軍に任命したのです。
まとめ
曹操は夏侯惇に対し、友人や仲間のように親しくしていたようです。魏の官印を夏侯惇に授けなかったのは、彼を臣下とは見ていなかったからでしょうか。寝室にまで出入りさせるくらいですから、本当に信頼していたのですね。
そして、夏侯惇はそれに胡坐をかくことはなかったようです。
この互いを重んじる関係は、従兄弟のよしみだけで成り立ったものではないように思えます。
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