曹操の従兄弟であり、最も信頼された隻眼の将軍、夏侯惇。晩年には大将軍まで昇進していますが、曹操の後を追うように亡くなりました。
そんな彼の墓が発見されていたのを、ご存知でしょうか。
また、近年、曹操の墓が発掘されて注目を集めましたが、実はその際、「曹操ではなく夏侯惇のものでは」という説もあったのです。
後に曹操の墓であると結論づけられましたが、夏侯惇の墓は、どのようなものだったのでしょうか。
詳しくみてみましょう。
夏侯惇の墓
夏侯惇のお墓があったとされるのは、河南省許昌県です。
『あった』と過去形なのは、既に工事によって無くなってしまっているからです……。
勿論、壊す前に調査はされており、その時、たった一振りの剣だけが埋葬品として見つかっています。盗掘にあったのかなとも思いますが、盗る物が無いくらいのお墓だったのかも知れません。
というのも、「正史三国志」魏書・夏侯惇伝によると、彼の性格はつつましく、お金が余っても人に貸し与えるなどして、財産を作らない人だったのです。
そんな彼の墓ならば、埋葬品が少ないのも頷けます。
そして、夏侯惇以外にも、詳細不明の夏侯氏の墓が2つあったそうなのですが、こちらも壊されています。
夏侯淵の墓も存在
近くには他にも墓があり、東側が夏侯惇で、西側が夏侯淵のものです。夏侯淵の墓は、現在は石油基地の敷地内に残されています。
しかし、元々別の場所にあった墓を壊し、そちらへ移したという話もあるようです。何しろ1800年前の墓ですから、そういう事があってもおかしくはありません。
残念ながら、墓はおろか、石碑すら残されていない人も居ますから。
夏侯淵の墓の上に展望台と石碑があるようですが、見学には許可が必要です。
とは言え会社の敷地内ですから、見学の際には行ったその日に許可を貰うよりは、前もってお願いした方が良さそうですね。
曹操の墓は夏侯惇の墓?
冒頭にも書いた通り、曹操の墓が発見された際、夏侯惇の墓の可能性を唱えた人も居ました。
陪陵(ばいりょう)の一つとして、曹操の周りに埋葬された、という説です。曹操からの信頼は厚かったですし、しかも親族の一人ですから、ありえない話ではありません。「魏王」の字が見られる埋葬品も、曹操より生前に授けられたものという見方も出来ます。
しかし、夏侯惇のお墓にしては規模が大きいですし、何より許昌の墓の存在が謎になってしまいます。
結局、曹操のものということで決着がつきましたが、候補として挙げられるほど、夏侯惇と曹操は近しい間柄だったんだな、と改めて感じました。
まとめ
残念なことに、夏侯惇の墓は無くなっていました。
夏侯惇ファンの方は悲しむかも知れませんが、彼の性格なら、「墓よりも今生きている人達の生活を大事にしてくれ」とでも言いそうですよね。
英雄たちはみな、墓が残るより、自分達の名前や人生が歴史として、語り継がれる事の方が嬉しいのかも知れません。
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