天下の名軍師 諸葛亮の兵法の原点は孫子?
色々な説があるにせよ、世間一般の認識としては、今も諸葛亮は優れた策略家です。
その彼の策略の原点は、どこにあるのでしょうか。何を勉強して、そのような頭脳を磨き上げたのでしょう?
それでは、天下の名軍師の原点を探しに行ってみましょう。
諸葛亮の兵法
諸葛亮といえば、三国志演義においては超人的な策を見せます。
例えば、赤壁の戦いで東南の風を吹かせてみたりとか、五丈原で没する直前に北斗七星に延命を祈ってみたりとか、これらに関しては兵法というくくりからは少し外れるかと思います。
正史の諸葛亮伝に記述がありますが、彼は兵法を応用して八陣の図というものを完成していたそうです。戦での陣立てに関するもののようなのですが、残念ながら詳細がよくわかっていません。
ただ、唐の名将:李靖(りせい)と太宗が交わす問答「李衛公問対(りえいこうもんたい)」に出てくる六花の陣というものは、諸葛亮の八陣の図をもとにしているとされています。
あとはやはり、劉備に披露した天下三分の計でしょうか。兵法と言えど、戦場だけで通用するものではありません。大局を見なくては、兵法とは言えないのです。
また、魯粛(ろしゅく)と共に呉に赴き、孫権に魏との交戦と劉備との同盟を説いたのも、彼の大きな策のひとつです。
彼の対外的な功績を見てみると、人の心の動きや情勢を読んだ上での行動が結実しているようです。
諸葛亮は、戦場で役立つ兵法よりも平時に役立つ兵法を得意にしていたように思えます。
その原点は孫子
当時、基本的に武将の間で「孫子(そんし)」は必須テキストのようなものでした。
他にも、同じく春秋戦国時代に成立した「呉子(ごし)」、「六韜(りくとう)」、「三略(さんりゃく)」などの兵法書もそうです。ですから、諸葛亮も当然愛読していたと考えられますね。
その中でも、海外にも知れ渡っているのが孫子です。春秋時代の呉に仕えた孫武(そんぶ)が記した兵法書で、基本的に戦争は軽々しく起こさず、非好戦的な立場で現実主義を取る考えです。
また、道(政治)・天(天候)・地(地形)・将(指導者の力量)・法(軍規)の要素において敵味方を比べ、詳細に分析してから戦に臨むというスタンスを取っています。
戦そのものだけでなく、むしろ戦における周囲の要素や環境を詳細に鑑みる冷静な目が求められたようです。
また、諸葛亮は若かりし日に自身を管仲(かんちゅう)と楽毅(がっき)に比していました。管仲は春秋時代に斉の桓公に仕え、覇者へと押し上げた名宰相で、楽毅は春秋時代の燕の名将です。
2人とも知略に優れており、諸葛亮は憧れを持っていたのだと考えられます。
まとめ
諸葛亮の目の覚めるような戦略というのは、実はほぼ三国志演義のものなのです。
実際の彼は、どちらかというと、じっくり情勢を分析し、確実な効果を挙げる作戦を取っていたような印象を受けました。
孫子の兵法というものも、もちろん実戦的な面もありますが、やはり人の心の動きを読むやり方に重きを置いているようです。
諸葛亮は、冷静に情勢分析と人間観察ができる人物だったのですね。
この記事が気に入ったら
いいねで三国志の小ネタをお届け!
スリーキングダムズの最新情報をお届けします
Twitterでスリーキングダムズをフォローしよう!
Follow @3_Kingdoms_Info