三国志を代表する軍師 諸葛亮の眠る墓は何処にある!?
今ではみんな墓に埋葬されるわけですが、昔の有力者の場合、埋葬される墓があり、祀られる廟があり、色々な形がありました。
諸葛亮の場合も例外ではありません。墓もありますし、祠もあります。
武侯祠というのがそれで、中国の各地にあり、成都や南陽にあるものが代表的です。成都の武侯祠には、劉備の墓も一緒にあります。
こちらの方が、どちらかというと一般的かもしれません。成都にあるのでアクセスも良いですし、観光客はみなこちらを訪れる方が多いようです。
しかし、今回は諸葛亮の墓、すなわち彼が今でも眠る場所の方について見ていきたいと思います。
諸葛亮の墓の場所
諸葛亮の墓は武侯墓といい、陝西省勉県にあります。ここは、かつて劉備が曹操と漢中を巡って激突した定軍山(ていぐんざん)の戦いの舞台でした。
老将・黄忠(こうちゅう)が魏将の夏侯淵(かこうえん)を敗死させた場所でもあります。
諸葛亮は、この場所を自分の墓とするようにという遺言を残していたので、ここに葬られました。定軍山から、魏をにらんでいられるようにとの思いからでした。
これもまた遺言により、墓は質素に造られました。副葬品などもなかったとされています。
ただ、問題なのは、この武侯墓の敷地内に墓が2つあることです。奥にあるものには「真墓」という石碑が建てられているのですが、1799年頃に風水や歴史に通じているという人物がここに本当の墓があると言ったために建てられたものだというのです。
実際、諸葛亮の墓は5世紀頃からはっきりとした場所が不明になっているという説もあり、この辺の真実はあいまいです。
しかし、前述のように、あまりにも質素に造られたためか、破壊や盗掘にはあっていません。
三国志一の軍師、諸葛亮は今もこの場所で静かに眠っています。
博物館などの見どころ
このお墓の周辺は成都の武侯祠のように、観光客であふれているということはないです。
しかし、見どころは少なくなく、三国志ファンなら楽しめるスポットが満載です。
例えば、諸葛亮の像や「漢丞相諸葛忠武侯之墓」「漢諸葛武侯之墓」といった碑がありますし、北伐を模したジオラマが展示されています。
また、墓園内には、諸葛亮の享年である54歳にちなんで54本の木が植えられました。(通し番号がついていたそうですが、現在は54本はないという話もあります)。
そして、入口付近の壁には、諸葛亮の一生が彫られていて、これもまた見ごたえがあります。
まとめ
質素を旨とした諸葛亮が眠るにふさわしい場所のようですね。
彼はこの定軍山から、魏の発展と衰退をどのようににらんでいたのでしょうか。
墓だけでなく祠も中国各地に建てられた彼は、やはり今も昔も人々の尊敬を一身に集める存在です。
人物評などでいろいろと言われることもありますが、偉人であったことは間違いないのでしょうね。
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