賈詡はどんな性格!?三国志屈指の策士とは
曹操の参謀として活躍した、賈詡(か く)。彼は、高祖:劉邦に仕えた張良や陳平のような智謀の持ち主、と評価された、優れた策略家でした。彼はその頭の回転の速さで、主君、ひいては自らの命をも救っています。
策士と聞くと、とても現実的で冷たそうな人、というイメージがありますが、彼は一体どんな人だったのでしょう?
智謀でピンチを切り抜けたエピソードがいくつかありますので、そこから賈詡の性格を読み取ってみましょう。
大物を騙って身を守る
病のため役人を辞し、帰郷する途中で、氐族に襲われた事がありました。
賈詡は、当時、異民族との戦いで功績を挙げていた太尉:段ケイの名を出し、自分は彼の外孫だとハッタリをきかせた上で、「私を殺した後は、他の者達とは別に埋葬しろ。そうすれば、私の家の者が充分に礼をして、引き取るだろうから」とまで言ったのです。
ストレートに、「私に何かすれば○○が黙っちゃいないぞ!」と脅すより、自分の死後の話をするあたりがリアルに聞こえますよね。
氐族もすっかり騙されて賈詡を見逃していますが、彼に同行していた数十人は、全て殺されています。賈詡が彼らも救おうとしたかは不明ですが、結局、助かったのは自分1人だけでした。
長安奪還
その後、賈詡は董卓に仕えていましたが、その董卓が呂布に殺され、窮地に立たされます。董卓の娘婿:牛輔も殺されているのですが、賈詡は彼の軍中に居たのです。
共に牛輔の指揮下だった李傕(り かく)・郭汜(かく し)も弱気になり、逃げて帰郷するか、と言い出したため、賈詡はこのように説得しています。「兵を捨てて逃亡するだなんて、すぐに捕まるだけです。兵を集めながら長安へ向かい、復讐戦をすればいいでしょう。上手くいけば天子を擁する事が出来ますし、ダメならその時に逃亡しても遅くはありません。」
それもそうだ、と皆が納得し、李傕・郭汜らは長安を襲撃。結果、王允は殺され、呂布は逃亡。
またしても賈詡は自らの智謀で身を守りましたが、裴松之はこの行動を痛烈に批判しています。実際、実権を握った李傕・郭汜によるその後の統治は酷いもので、民は飢えに苦しみました。
賈詡がそこまで予見していたかは分かりませんが、李傕の暴走を止める素振りは見せていますし、何より、献帝の長安脱出を助けると、すぐに李傕のもとを去っています。彼なりに、責任を感じていたのかも知れません。
曹操を選ぶ
袁紹と曹操が官渡で対峙した時の事です。
当時、賈詡は張繍(ちょう しゅう)に仕えていましたが、彼が袁紹側につこうとするのを止めて、曹操に降るよう進言しています。
しかし、その前に一度、張繍は曹操を破ったばかり。おまけに袁紹の方が強大ではないか?と渋る張繍に、賈詡は、曹操が献帝を擁している事、寡兵だからこそ自分達を厚遇する事、曹操ならば個人的感情に左右されず判断を下すことを述べ、説得しました。
結果、この考えはぴたりと当たり、賈詡は張繍と共に礼遇を受けています。
智謀家の性格
賈詡の献策にハズレは無く、その進言が受け入れられなかったため、失敗に終わった例は少なくありません。彼はこのように、状況に応じて対処する能力に長けていました。
しかし、賈詡自身は自分の境遇を理解しており、疑いをかけられることが無いよう、仕事が終わればさっさと邸宅へ戻るなどして、私的な交際を広げなかったそうです。
世渡り上手な人が薄情で狡猾だと言われるのは、今も昔も変わらないようですが(笑)、実際の賈詡はどうだったのでしょう?乱世を冷めた目で見つめるイメージがあるものの、李傕らを咎めて天子を守り、張繍を救って導いた上、曹操に仕えてからは魏のために尽力しています。見えにくい、彼の”情”がそこにあったのではないか?とも思えるのです。
まとめ
裴松之(はい しょうし)からは長安急襲の件でボロッカスにこき下ろされていますが(笑)、それでも策士としては超一流です!
私生活では慎重にしていたりと、隙がありません。逆に扱いに困りそうな傑物ですが、その賈詡を使いこなしたのが、彼に殺されかけた曹操というのがまた凄い話ですよね……。
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