李典はどんな性格!?学問に励んだ知将の素顔に迫る!
魏の武将:李典と言えば、張遼や楽進と共に合肥を守り抜いた名将です。この3人は日頃から不仲だったそうですが、李典の説得によって一致団結したという逸話が残っています。
“人格者”という印象を受けますが、実際の彼はどんな人だったのでしょうか。
正史には、その合肥の戦いが最後の戦いとなっており、李典は36年という短い生涯を終えたようです。
彼が残していった僅かなエピソードから、その内面を見ていきましょう。
学問を愛する
李典は、黄巾の乱からの古参武将です。若い頃から軍事よりも学問を好み、師について「春秋左氏伝」を読むなど、書物を愛する勉強家でした。
魏では他に、夏侯惇が軍中に師を招いていますし、張郃(ちょう こう)も儒学者を大切にしていました。学問を重んじる武将が多いのは、曹操の影響でしょうか?その曹操も、李典の読書に励む姿を見て、好ましく思っていたそうです。
李典は特に儒学を尊重し、諸将と功績を争うようなことはせず、知識人を尊敬するなど、常に謙虚な態度を崩さなかったとか。その人柄は、多くの人から慕われていました。
独断での攻撃
勉強好きだった李典は、やはり戦場においても、その才能を発揮していたようです。
曹操が黎陽(れいよう)で袁譚(えん たん)・袁尚を攻撃した際、李典は程昱(てい いく)と共に兵糧の輸送を行っていました。この時、水路は高蕃(こう ばん)によって遮断されていましたが、「水路がダメなら陸路を使え」と、あらかじめ曹操からの命令がありました。
しかし、李典は敵の状況を見て、攻撃すれば勝てる事を確信。高蕃を急襲する事を提案します。
これに程昱も賛成したため、彼らは独断で高蕃を攻撃。結果、李典の予想通り勝利し、水路を回復する事に成功しています。
冷静に状況を分析するところは、いかにも好学の士らしいですが、武将らしい一面もあったようですね。
仲間を救出
また、博望坡の戦いでは、味方を窮地から救っています。
自陣に火をつけて退却した劉備の行動を、李典は罠だと看破します。ところが、李典の制止を聞かずに、夏侯惇と于禁は飛び出して行き、案の定、伏兵に襲われてしまいます。
この時、守備についていた李典が救援に駆け付けたため、その姿を見た劉備は退却。夏侯惇達は命拾いをしたのです。
演義でも李典は、このような、敵の策を見抜く知将として描かれています。
まとめ
短い生涯ながら、素晴らしい功績を残した人でした。長生きしていれば更なる貢献があったのでは、と思うと、残念ですね。
陳寿からも、「儒学の教養を尊重し、道義によって個人の仲違いを忘れた。立派な事である。」と、高評価。
確かに立派なんですが、こんな立派な事が出来る人が、そもそもどうして張遼達と仲違いなんかしてたんだろう?というのが正直な感想です(笑)。「アイツ学者肌でなんか気に入らない!」と、一方的に嫌われてたんでしょうか?だとしたらちょっと可哀想です……。
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