ゲームでもお馴染みの貂蝉(ちょうせん) 実は架空の人物だった!?
歴史に美女はつきものです。日本だったら小野小町、エジプトならクレオパトラなど、どの国にもたいてい絶世の美女がいるものですよね。
中国はどうでしょう。4000年を超える歴史上には、多くの美女が登場しました。
中国四大美女として挙げられるのが、唐の楊貴妃、春秋戦国時代の呉の西施(せいし)、漢の王昭君(おうしょうくん)、そして、三国志に登場する貂蝉です。
では、貂蝉とはいったいどんな女性だったのでしょうか。架空の人物だという話もありますので、色々と見ていく事にしましょう。
貂蝉とはどんな女性?
貂蝉は、後漢の司徒・王允(おういん)の養女として三国志演義に登場します。
王允は、朝廷を我が物にし横暴の限りを尽くす董卓(とうたく)をどうにかしようと、その養子:呂布との関係を悪化させるため、美しい養女:貂蝉を利用することにします。彼はまず呂布に貂蝉を会わせ、その美貌の虜にします。
ところが、次に貂蝉を董卓の所に連れて行き、そちらへ渡してしまいました。当然、呂布は怒りますが、王允はしらっと「董卓には逆らえないので…」と答えるだけでした。
諦めきれない呂布は、貂蝉と密会します。このとき、彼女は呂布と一緒にいたいという素振りを見せました。それを知った董卓も怒り、それなら呂布の所へ行ってしまえと言いますが、貂蝉は「乱暴者の呂布など嫌です」と答え、董卓の元を離れません。
一方、呂布は貂蝉をものにしている董卓に対して怒りが収まらず、王允と結んで、彼を殺してしまいました。こうして董卓と呂布の親子関係は、ひとりの美女によってガタガタになってしまったのです。
これは王允の用いた策略「美女連環(れんかん)の計」で、董卓と呂布の間に貂蝉を送り込むという「美人計」と、これによって2人の感情を行き違わせ、そこを突く「離間計(りかんのけい)」を合わせたものです。
貂蝉は架空の人物!?
貂蝉は三国志演義にしか登場せず、正史にその記述は見られません。演義であれだけの存在でありながら、正史に記録がないということは、限りなく架空の人物であると考えるのが自然だと思われます。
董卓の死後は呂布の妻となっていますが、その後は舞台から姿を消してしまうということからも、物語を盛り上げるために作られたキャラクターであることが濃厚です。
ただ、モデルはいるようです。正史に、呂布が董卓の侍女と密会したことの発覚を恐れていたという記述があることから、その侍女が貂蝉のモデルとなったといわれています。
三国志関連の書物では
呂布の死後の貂蝉について、吉川英治の「三国志」及び横山光輝の漫画「三国志」では、連環の計を完成させた後に自害するという行く末を付け加えています。
また、元の雑劇「錦雲堂美女連環記」では、貂蝉を巡って曹操と関羽が争いかけます。結局、関羽が貂蝉を得ることになりますが、国を傾けかねないほどの美貌を前にして激しく動揺した関羽は、結局貂蝉を斬ってしまうという話になっています。
ここでは、元々貂蝉と呂布が結婚しており、戦乱によって離れ離れになっているなど、ちょっとしたネタが満載です。
まとめ
気になるのは、物語の中で、貂蝉の感情がそこにはないように感じられることです。
彼女の言葉はすべて台詞のようで、王允の駒として動いていたような感も無きにしも非ずです。
やはり、豪傑たちの物語に花を添え盛り上げるために作られた役なのかな…と思わされました。
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