魏の名将五人衆! 五大将軍に数えられる人物とは

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蜀に五虎将軍が居たように、魏には五将軍、または五大将軍と呼ばれる5人が居ます。

曹操の躍進に貢献したであろう彼らが、どんな功績をあげたのか気になりますよね。

彼らの主な活躍を見ていきましょう。

筆頭・前将軍 張遼

丁原、董卓、呂布、曹操と、図らずも主君を変えながら、数々の武勲をたてた名将。

合肥の戦いでは800の兵と共に特攻し、その凄まじい勢いで敵軍の士気を下げました。その時の魏軍は僅か7千で、呉軍の兵は10万。呉軍を撤退させていますが、この時さらなる猛攻をしかけ、孫権を震え上がらせました。

その後は病を得るも、長江を臨む場所に駐屯して睨みをきかせ、呉の将、呂範を破っています。

右将軍 楽進

早くから曹操のもとで戦っており、呂布、張超(ちょう ちょう)、橋蕤(きょう ずい)討伐に参加し、すべて一番乗りとして戦功を立てています。

驚くのが、彼は初め記録係として働いていたことです。曹操が楽進に兵を集めさせた時、千人余りを集めたため武将として用いられることになりました。

合肥の戦いでは不仲だった張遼、李典らと協力し、楽進は城の守備に徹底しています。

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左将軍 于禁

張繍軍との戦いから引き上げる最中、略奪の罪で青州兵を討伐しています。この青州兵は曹操より寛大に扱われていたため、すぐに曹操に弁解するよう、人から忠告されていますが、于禁は追手への備えを優先しました。

また、旧友:昌豨(しょう き)が反乱した際、涙を流しながらも斬っています。

このように、官渡の戦いなどの重要な戦の勲功もさることながら、その生真面目な性格から、曹操からは厚い信頼を受けていました。

左将軍 張郃

曹操、曹丕、曹叡と、3代に渡り戦場で活躍した名将です。袁紹に仕えていた頃、公孫瓚(こうそんさん)の討伐において功績を残しています。

その後、官渡の戦いで曹操に帰順。以後、袁一族の討伐や潼関の戦いなどで活躍し、勝利に大きく貢献しました。

定軍山の戦いでは、指揮官・夏侯淵が戦死すると、張コウは臨時の総大将となり、浮足立った兵達の平静を取り戻しています。劉備は夏侯淵よりも張コウを恐れていたため、夏侯淵の死後、「一番の大物を討ち取らずにどうする」と言ったそうです。

諸葛亮の第一の北伐:街亭の戦いでは、馬謖(ば しょく)の失態を見抜いてそこを突き、勝利を収めています。蜀にとって出鼻をくじかれたのは、大きな痛手でした。

右将軍 徐晃

張郃と同じく、こちらも歴戦の将。

数々の戦で功績をあげていますが、特筆すべきは、援軍として参加した樊城の戦いです。

慎重な徐晃は、新たな援軍が来るまで足を止めています。そして、兵馬が到着すると巧みな用兵で敵の陣営を落としていきました。関羽の敵陣を崩すと、包囲陣の中にまで入って攻撃。

ここで関羽を破り、魏のピンチを救ったのです。曹操は大変な喜びようで、この時は徐晃をとにかく労い、褒めまくっています。

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まとめ

正史に五大将軍という記述は無いのですが、この5人は魏書・張楽于張徐伝第十七にまとめられており、五虎将軍を引き合いに出して、こう呼ばれたのではないでしょうか。

この5人の伝の終わりに、「太祖はあのような武勲をうちたてたが、当時のすぐれた将軍というと、五人が第一といってよい。」とあります。いずれも重要な戦で戦功をあげたり、また、危機を救っていますから納得出来ますね。

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高村真琴

高村真琴

投稿者プロフィール

猫とお酒と三国志が好きな一児の母です。
項羽と劉邦からハマってしまい、漢書と正史は既にバイブルの域に。中華街に行くのも大好きで、三国志グッズを探しては買い集めています。
わかりやすく、読みやすい文章を心がけて書いています。

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