三国志と言えば、正史と演義が2大巨頭ですが、私たち日本人にとってもう一つ馴染み深い三国志と言えば、人形劇三国志ですよね。
エンターテイメント性が強く、子供にでもわかりやすく面白い三国志です。
そこに出てくるエピソードのひとつに、「張飛の虎退治」があります。
しかし、このエピソードは本家の三国志に出てくる話なのでしょうか?出てこないような気が…しますよね?
ならば、その辺がどうなっているのか、検証してみましょう!
人形劇三国志の「張飛の虎退治」は、三国志にある話?
結論から言いますと、これは正史・演義どちらにも出てこない、人形劇のオリジナルストーリーです。
あらすじ
皆が曹操の動向について話し合う中、張飛はそれがよく理解できず、つまらない気分になります。そこで、淑玲(すうりん・オリジナルの人物。劉備の侍女から妻となった)に頼み、孫子の兵法を学ぶことにしました。ですが、兵士に彼女と会っているのをからかわれ、張飛は彼を殴りつけてしまい劉備に叱られます。
飛び出した張飛が淑玲と会っていた崖に行ってみると、そこには血だらけの布と虎の爪痕が残されていました。淑玲が虎に食べられたとショックを受けた張飛は、近くの酒屋で大酒を飲み酔っ払います。そこの婆に、ここは虎が出るから泊まっていけと言われますが、張飛はならばその虎を殺して淑玲の仇を討つ!とここも飛び出してしまいます。慌てた婆は、手下に命じて張飛を追わせます。実は婆は山賊で、旅人から金を奪ったり娘をさらったりしていたのです。
張飛を追う手下たちの前に、本物の虎が現れて襲ってきました。張飛はそれを見つけると、淑玲の仇とばかりに素手でそれを殴り殺します。そして、婆も手下も山賊だったと知ると、彼らを捕え、淑玲を助け出しました。
加藤清正の虎退治のような感じ?
加藤清正に関しても、虎退治のエピソードが残っています。
ただこれは実際に虎が現れていたらしく、家臣や軍馬を守るために殺したとも、貴重な虎の肝を豊臣秀吉に献上するためだったとも伝わっています。
むしろ、水滸伝に登場する武松(ぶしょう)の虎退治のエピソードの方が同様のものだと言えます。と言うよりも、張飛の虎退治は、武松のものをベースに創作されたような雰囲気があるのです。
陸遜は龍退治をしたという話も!?
呉の陸遜(りくそん)に関して、龍退治をしたという民間伝承が残っています。
蒲圻(ほき)の雋水(しゅんすい)では、夏になり河の水が増水すると、黄龍が8匹の子供を連れて水遊びにやって来るようになりました。すると河がせき止められるため洪水が発生し、人々は困っていたのです。
陸遜はそんな時に蒲圻へ赴任してきましたが、人々の窮状を耳にし、何とかしようと立ち上がりました。
まず彼は鉄の船を造らせ、50人の強い兵士を選抜しました。そして、次の夏まで訓練を続けたのです。
そして、夏になり河が増水すると、黄龍は子供と共にやって来ました。
そこで陸遜の出撃の時です。彼は宝刀・雪花剣をふるい、子供を斬り捨てました。兵士たちも奮戦した結果、子供の龍はすべて片付けます。
もちろん親の黄龍は怒り狂い、襲いかかってきました。陸遜たちは怯まず勇敢に戦い、陸遜が黄龍の額に剣を突き刺します。龍は逃げ去り、以来二度と来ることはなくなりました。
人々は陸遜に感謝し、雋水を陸水と改め敬意を表したということです。
まとめ
人形劇の張飛は、かなり面白可笑しいムードメーカーとなっています。
元々、欠点がありながらそこが魅力だった人物なので、余計にこうしたエピソードを造り出しやすかったのでしょう。
人形劇ももう一度見返してみると、面白さが倍増するかもしれません。
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