劉備は前漢の初代皇帝劉邦の末裔!?
劉邦と劉備。
「項羽と劉邦」って、聞いたことのある方が多いと思います。中国史好き、司馬遼太郎好きなら避けて通れない人物です。
今回見ていくのは、その劉邦と、三国志の劉備の関係についてです。
姓が同じですが、この2人にはどんな関係があるのでしょうか。
劉邦とは
劉邦は、秦代においては沛県(はいけん)の亭長でした。とはいってもあまり職務に身が入らず、侠客のような生活をしていました。
しかし、始皇帝が没し、情勢が混乱する中、彼は仲間を連れて秦に反抗する勢力へ身を投じます。ここには後のライバルとなる項羽もいました。
そして、秦軍と戦い、劉邦は都である咸陽(かんよう)を落とすという功績を挙げます。
ただ、ここから項羽との対立が本格化していきます。何度もの激戦が繰り広げられ、ついに垓下(がいか)の戦いにおいて、劉邦は項羽を破ります。
そして、前202年、劉邦は皇帝に即位し、漢(前漢)を建国したのでした。
元々は酒色を好む人物でしたが、部下の言葉を良く聞き入れる度量の広い人間でもありました。
それが、多くの優秀な人材が彼の下に集った理由だったのです。
劉備は劉邦の子孫!?
劉備は、前漢の第6代皇帝:景帝の第9子・中山王劉勝(りゅうしょう・?-前113年)の末裔を名乗っています(劉勝の庶子・劉貞(りゅうてい)の末裔というのが加わることもあります)。
中国において、姓が同じであるということは何らかの血のつながりがあるということが多いのです。
そのため、劉備と劉邦が何らかの関係があるかもしれないということは言えるかもしれません。
しかし、劉勝という人物は120人以上の子と孫がいたと伝わっているのです。
そこから考えると、劉備と劉邦は、限りなく他人に近い、ごくごく薄い血縁だと考えるのが自然かもしれません。
劉邦の子孫と称することのメリット
とはいえ、前漢の高祖である劉邦の子孫と称することにはメリットがありました。
当時の人々からすれば、劉邦はスーパーヒーローです。
あの劉邦の子孫と称したなら、水戸黄門こと徳川光圀の印籠のような効果さえあったかもしれないのです。
加えて、秦の始皇帝やその後の二代皇帝、三代皇帝のイメージがあまりにも悪すぎたことも、劉邦のイメージを押し上げる一要因となっていました。
あのひどい時代から世の中を建て直した劉邦の姿が、その子孫であると称することによって劉備に重なったということは容易に想像がつくと思います。
まとめ
個人的にも前漢の建国のあたりの流れは非常に思い入れのあるところなので、「私は劉邦の子孫です」と言われたら、イメージとして決してマイナスにはならないと思います。
当時の人だったならなおさらのことでしょう。人の上に立つならば、こういうところも上手く利用していかなければならなかったのでしょうね。
時に、血筋というものは人を動かす上でとても大事なツールだったというわけです。
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