三国志をテーマにした漫画やゲームは多くありますが、作中の武将達は老いも若きもイケメンだらけですよね。
その中で、実際に美男だと伝えられているのが誰なのか、考えた事はありませんか?
歴史書には、その人物の容姿について書かれていることもありますから、調べれば三国志一のイケメンが誰なのかわかるかも知れません。
そこで今回は、各勢力から優れた容貌の持ち主を探してみました。果たして、本当にカッコよかったのは誰なのでしょう?
当時のイケメン象
さて、当時のイケメンの定義って何だったのでしょう?
性別によっても考え方は様々ですし、ましてや1,800年も昔となれば、美意識は今と全く違うのかも知れません。
目鼻立ちが整っていれば充分イケメン扱いされていたとは思いますが、正史でよく賛美されている身体的特徴の多くは、身体つきです。
やはり体躯が立派だと、見栄えしますよね。さらに、当時の男性に欠かせないのが「髭」です。人によっては元から薄かったり、まばらに生えて伸ばせなかったりもしますから、濃くて長い髭は美々しく見えたのでしょう。当時はそういった、いかにも「男らしい」外見が好まれたようです。
そんな「男前」な人達はどれだけ居たのでしょうか?
魏 荀彧
「容姿端麗な偉丈夫」と書かれており、禰衡からも「その顔を拝借して弔問に行かせるのが適任」(=あいつ顔だけじゃん)と皮肉られています。
さらに、陳寿からは「涼やかな風貌」、潘勗(はん きょく)からも「優れた容姿、立派な外貌」と評されていますから、彼の容貌の良さは評判だったのではないでしょうか。
魏は他に、程昱も8尺3寸(約191cm!)という高身長に立派な髭という好条件を備えていましたが、「容姿端麗」の文字と禰衡の言があったので、やはり荀彧を選びました。
常に人をボロクソに貶していた禰衡が顔だけは褒めているのですから、かなりの美形に違いありません。クールビューティーという感じでしょうか?
呉 周瑜
演義では「美周郎」でお馴染みですね。実際の周瑜も、立派な風采を持っていました。
仲の良かった孫策も「容姿端麗」だったそうですから、この2人が並ぶと絵になるんだろうな~とつい想像してしまいます。
しかし、頭も良くて嫁も親友も美形だなんて、前世でどんな徳を積んだらこんな人生が歩めるんでしょうか?(笑)
ちなみに、演義では陸遜にもイケメン設定がついていました。演義の呉は美形だらけで、乙女ゲームのような光景が見られたのでしょうね……。
蜀 趙雲
身長は八尺(約184cm)あり、姿や顔つきが際立って立派だったと書かれています。
彭羕(ほう よう)なども「身長は八尺、はなはだ容貌魁偉」と書かれていますが、顔の事まで書かれているのは趙雲くらいです。
凛々しくて、精悍な顔立ちをしているような印象を受けますね。民間伝承では白馬に乗っているためか、さらにレベルが上がっている気がします(笑)。
演義で錦馬超と称えられた馬超も男前なイメージですが、彼の容姿に関する記述は見られません。
しかし、父である馬騰は身長八尺以上で巨大な体格、顔も鼻も立派だったそうです。父親に似ていれば、馬超は隠れたイケメンなのかも知れませんね。
まだまだ居るイケメン達!
他にも、堂々として威厳のある風貌をしていた袁紹、身長八尺以上で容姿は大変立派だったという劉表、公孫瓚(こうそうさん)も容貌が美しかったと書かれています。さすがに細かな描写まではありませんが、意外にも外見が褒められている人は多いのです。
記録に残らなかっただけで、実際はイケメンだった人も居たのでしょうね。
もしかしたら、あの董卓にも、美少年と呼ばれた時代があったのかも知れませんよ?(笑)
まとめ
演義では、やはり名前に「美」が付いた周瑜がナンバーワンかな?と思います。
現代でも、美貌の男性に「王子」なんてあだ名がつく人も居ますよね。二つ名になるなんて相当です。
史実は詳細な情報に欠けるため判断し辛いのですが、当時の感覚からすれば趙雲かな?と思います。男らしい感じがしますよね(笑)。
それにしても、ここに挙げた人物はみな容姿だけでなく、優れた武勇や頭脳を持っていた人達ばかりです。
天は二物も三物もお与えになるものなんですね……。
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