曹操は女癖が悪い!? 関羽が見初めた女性を奪った!

Sponsored Links

“英雄色を好む”とは言いますが、三国志の英雄達も、女性が大好きな人達は多かったようです。

しかし、貂蝉を奪い合った董卓のように、女性が原因で痛い目を見るケースもありました。

女好きと名高かった曹操、彼はどうだったのでしょうか。

関羽も被害に遭う

下邳にて、呂布が包囲されていた時の事です。関羽は曹操に、このように直訴しました。

「呂布は秦宜禄(しんぎろく)を使者として、袁術のもとへ行かせています。(私は、この下邳に留まっている)秦宜禄の妻を娶りたいと思っています。」

その時は別段、気にも留めなかったのでしょう、曹操はこれを許可しました。しかし、その後呂布が敗れると、関羽は許可を貰っているのに、また同じことを繰り返したのです。

これだけ念を押してくるとは、余程の美人に違いない。そう考えた曹操は、先に彼女を迎え入れて、顔を見ます。……結果もう、お分かりですね。

こうして関羽は約束を反故にされ、狙っていた女性を曹操に取られてしまったのです。ちなみにこの女性は杜夫人といい、連れ子も居たのですが、その子も曹操が引き取っています。相当な美人だったんですね……。

この話は関羽が曹操に降る前の話ですから、もしかしたら曹操は、後に後悔したかも知れません。後悔と言っても、義理を欠いたことへのものです。関羽の義心は女性一人で崩れはしませんから、これが原因で自分のもとを去ったとは考えないでしょう。

ひょっとしたら関羽は、根に持っていたかも知れませんが……。

Sponsored Links

家族と忠臣を失う羽目に

張済(ちょうせい)の死後、甥の張繍(ちょうしゅう)がその軍勢を引き継ぎ、宛に駐屯していました。そこへ曹操が攻めると、張繍は出迎えて降伏します。

この降伏を喜んだ曹操は、張繍や指揮官を招いて大宴会を開きました。それで気が緩んだのでしょうか、彼は張済の未亡人に手を出したのです。

義理のおばが愛妾にされたと知って、張繍は憤慨します。

これに気付いた曹操は、密かに彼の暗殺を計画しました。しかし、事前に露見してしまったために急襲するも、大敗。ここで、長男:曹昂、甥の曹安民が戦死。忠臣:典韋もここで亡くしています。あまりにも大きな代償です……。

さらに、曹昂の死に様を知った、養母:丁夫人が激怒。曹操の謝罪を最後まで受け入れず、結局、彼女とは離縁することになります。

曹操も、愛妾一人で、こんな惨事を招くことになるとは思わなかったでしょう。

この張済の未亡人こそ、”傾国の美女”ではないでしょうか……。

夫人達への愛

釣った魚に餌をやらないタイプかと思いきや、意外にも曹操は、娶った女性は大切に扱っていたようです。

杜夫人の連れ子を養育したのも、彼女への愛情からでしょう。卞皇后の口添えもありましたが、離縁した丁夫人の埋葬もしています。また、遺言の中に「職の無い側室達は、履き物の組み紐の作り方を習い、それで生計を立てるように」と、女達を気遣っています。

手を出す分、増える責任もきちんと負う人だったようです。

まとめ

女性が原因で痛い目に遭うも、のちに張繍が再び降伏した際はそれを受け入れていますし、この時参謀:賈詡を得ています。失敗を引き摺らないところはさすがと言うべきでしょうか。

それにしても、いつの時代も美しい女性は、地位や権威といったものを脅かす存在なのですね。

Sponsored Links

この記事が気に入ったら
いいねで三国志の小ネタをお届け!

スリーキングダムズの最新情報をお届けします

Twitterでスリーキングダムズをフォローしよう!

こんな記事も読まれています

高村真琴

高村真琴

投稿者プロフィール

猫とお酒と三国志が好きな一児の母です。
項羽と劉邦からハマってしまい、漢書と正史は既にバイブルの域に。中華街に行くのも大好きで、三国志グッズを探しては買い集めています。
わかりやすく、読みやすい文章を心がけて書いています。

この著者の最新の記事

カテゴリー

ページ上部へ戻る